深沢俊太郎

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《醒世姻縁伝》研究!
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深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
「醒学」(醒世姻縁伝研究)


■醒学一号「《醒世姻縁伝》の勧め」
1)はじめに
2)凡例
3)弁語(序文)
4)後記(中州古籍出版社・醒世姻縁伝)
5)再販後記(中州古籍出版社・醒世姻縁伝)
6)醒世姻縁伝の勧め

(4)後記:
後 記(河南本P945)
深沢俊太郎 訳

(三)
 《醒世姻縁伝》の版本で現存しているものとしては、以下の各種がある。

(1) 清順治年間の刻本。筆者はまだ見ていないが、王守義氏の考証によれば:「この刻本はページ面に十行、毎行二十五字、その内容は上述三種(同徳堂本、同治庚午本、亜東本を指す――筆者注)と大差はないが、おそらく同徳堂の初版本であろう(原注:この初版本は現在周紹良氏所蔵)。環碧主人の《弁語》の年代のところが、くりぬかれ、継ぎ張りされている。しかし、“玄”の字が、忌み避けられていないこと、それと版式から見て、順治年間の刻本に相当しよう。
(2) 雍正年間の刻本。孫楷第氏の《中国通俗小説書目》の記載によると:「日本享保13年(清雍正六年=1728年)の《舶載書目》にすでに《醒世姻縁》があり、その序文、跋文、凡例は、今流通している版本と全く同じであるので、刊行は、遅くても雍正六年以前であろう。」とある。しかし、いったいその印刷の割付け、版型はどんなのであったか? 雍正年間に出されたものなのか、それとも、その前に出たものなのか、前述の順治年間の刻本なのか、筆者は目にしていないので、ここでは暫時、“雍正年の刻本”としておくことにする。
(3) 乾隆戊子本。刊行年月及び刊刻者名はない。ページ面に十二行、毎行二十五字。巻頭のはしがきと終わりの署名に、“戊子清和月環碧主人酔中書”とある。孫殿起氏の『販書偶記』に、本書の記録があって、“乾隆三十三年戊子刊”の作とあるが、その校正者の名が見えないので、ここでは、暫時、“乾隆戊子本”としておくこととする。
(4) 乾隆辛丑本。表紙に《醒世姻縁伝》とあり、刊行年月と刊刻者名はない。ページ面に十行、毎行二十五字。序文と末尾には“辛丑清和月環碧主人酔中書”とある。内容は、“乾隆戊子本”と同じであるが、ただ序文と末尾署名年月と割付けが異なるだけで、凡例八則と東嶺学道人の跋文はある。本文中では、康煕の諱を避け、乾隆帝の諱、“寧”は避けていない。字体特徴から見ると乾隆時代のものに相当するので、暫時、“乾隆辛丑本”としておく。孫楷第氏の《中国通俗小説書目》には“同徳堂の刊行本。ページ面十行、毎行二十五字”とある。割付けは同じだが、同徳堂本であるとは疑わしい。おそらく、この底本は、順治年刊本ではないかと思われる。
(5) 同治庚午復刻本。序文の終わりの署名にある“辛丑”、割付け書式はすべて“乾隆辛丑本”と同じなので、これを底本としていよう。刻板技術があまり良くなく、誤字もかなり目立つが、《中国通俗小説書目》、《販書偶記》のいずれにも記載されている。この他、この本の補充版重版本があるが、刻板の仕事は同様、雑である。
(6) 光緒二十年上海書局植字印刷本。表紙は篆書で、《綉像醒世姻縁伝》とあり、表紙裏には“光緒二十年仲冬上海書局石印”とあるので、“上海書局本”と名付けよう。この本の本文は、改竄個所がかなり多くあり、校正は雑、誤字も多い。(訳者注:仲冬は陰暦の11月の意)
(7) 受古書店本。民国年間石版刷り。
(8) 亜東本。1933年亜東図書館の活字本。初めに徐志摩の序文、胡適の本書作者に関する考証の文章があり、ほか付録七種が載っている。本文は汪乃剛による校正校訂と標点がある。本書は“同治庚午刻本”を底本としている。
(9) 大達書局本。
(10) 上海進歩書局本。石印、標題は《綉像絵図悪姻縁》。一番早くに見られた刻本で、最初に普及した順治刻本である。これ以降の各種版本は、基本的にこれを原本としている。ただ、作者が本にした後、その原稿はどこへやったのか、転写本はあるのか、順治刻本の原本はこれまた何なのであろうか? この本には“武林(現杭州)より伝えられ、白下(現南京)にて校正し脱稿した”とあるからには、写本が伝えられてあるに違いない。それが現存するかどうかは分からないが、今後の発見を待つより致し方なかろう。

この他、東嶺学道人の跋文によると:

「本書の原題は《悪姻縁》であった……私は、世の人々が本書により、悟りを開き、悪念を起こすことなく、皆がみな善行を奉ずるようになることを願うものである。そうなれば、本書も風俗教化の一役を担うことになり、どれだけ世のため人のためになるであろうか? それ故、こうした考えを《凡例》の後に書かせてもらった。諸君諸兄には、本書を開き、一読され、開眼、世の中を警醒してほしいとの願いから、書名を「醒世姻縁伝」という題にしたのである。」
とある。

そして、環碧主人の弁語には:
「“西周生の《姻縁奇伝》を読み、豁然と悟り理解したものである。”」
というくだりがあるが、ここから、

(1) 本書は《醒世姻縁伝》という書名が世に出る前に在り、さらに別に《悪姻縁》、《姻縁奇伝》などの書名があったということになる。
(2) また、東嶺学道人という人物が《醒世姻縁伝》という書名をつけ、定本としたのであろう。

ということが分かる。

 今回の校正、訳注にあたり、我われが選んだ底本は、清乾隆辛丑本で、同治九年の復刻本と光緒上海書局本、それに、亜東本を参考に使った。これは、順治本を見ていないこと、辛丑本がわれわれの見ることの出来た中で最も古い版本であったからである。一般的に、作者の時代に近い本ほど信頼性が高いといわれるので、辛丑本は、総体的に作者の時代からそんなに離れておらず、文字からも、早期の転写本、ひいては作者の原稿との関係を垣間見ることが出来る。これは、例えば、手書きで書かれた“又”の字が“只”の字に誤って刻字されていることから説明できる。辛丑本は、それ以降の数種の版本と比較しても、刻本の仕事がすぐれ、校正もしっかりしており、誤りも比較的少ない。ちなみに、同治本と比べて見ると、同治本は誤字が多く、誤りも広範囲にわたっており、あまりに差があることが分かる。無論、上海書局本のように勝手な改竄は何をかいわんやで、全く同日の談ではないが。

 本書が広く世に伝えられてから、すでに数百年の歴史が経っている。この度、読者の閲読に便宜を計らんと、本書を全面的に見直し、整理し、新たに標点を打ち、注釈をつけた。注釈については、名物、法令制度、故事、諺、引用文の出典、俗語、方言、さらに作品にかかわりのあると思われる個所に限ってつけたが、語彙の注音、解釈はみな省略した。

 文中の繁体字については、国務院公布の簡略字体に従って、簡体字に改めた。個別の字句については前後統一するよう気を配った。また作者の造語については、辞書でも調べようのなかったものは、そのまま記したり、或いはまま現在通用している同音同義の字に改めるかした。古今の書体については、殊更変化変遷が多く、簡、繁字体を例にとっても、古書の整理作業を進める中にあっては、今なお軽率に改竄したり、道理にあわないものもあったりで、全国的に統一規範がなく、加えて、本文には方言、俗諺が殊更多くあって、校正には、ほとほと手を焼いた。まずはかくの如くで、容赦願うものである。

 本書を整理する過程にあっては、作者の原意を尊重することを旨としたことから、校正する者として、無分別に書き改めることは出来なかったが、一部低俗に流れる個所には、少しばかり手を加えさせてもらった。

 本書の各種版本にあった序文、跋文、推奨文、考証、付録の類は蛇足の感あり、で、一切省いた。

 本書の整理に当たっては、北京図書館、鄭州大学図書館にご協力をいただいたことに対し、感謝の意を表する次第である。

※童万周

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