深沢俊太郎

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《醒世姻縁伝》研究!
ごうりきみちのぶ著「まっくらけ」!


深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
「醒学」(醒世姻縁伝研究)


■醒学二号:醒世姻縁伝に見る登場人物
1)主な登場人物
2)晁家一族と関係者
3)狄家、薛家関係者
4)市井の人・市井の徒
5)官人(お役人)
6)神仙、道士、僧侶、尼姑
7)主な歴史上の人物

(7)主な歴史上の人物:
秦 檜《qin2hui4》 ……  (1090〜1155)南宋江寧人。政和の進士。高宗とともに北方の金との講和を主張し反対派を弾圧、後世に万古不易の功臣と評せられる岳飛を殺した。宋が金に対して臣としての歳貢する紹興の和議を結んだことから、中国の代表的な売国奴、悪人の一人とされている(前言ほか)。

陳仲子《chen2zhong4zi3》 ……  戦国時代の人。代々斉の国の官吏。兄の戴の住む家も食も、不義によって得たものだと嫌い、兄の家から離れ、於陵地方に移り住んだことから、後の人は於陵の子終と呼んだ。清廉高潔の士として有名(前言ほか)。

陳門柳《chen2men2liu3》 ……  陳季常の妻柳氏を指す。河東の人。気質は暴れ馬、嫉妬深い女(前言)。

何 郎《he2lang2》 ……  何晏を指す。三国時代魏の人。魏明帝が顔に白粉を塗っているのではないかと疑ったほどの白かったという色白の美男子。真夏に熱いスープを飲ませると、顔中に汗が出たので彼は袖で汗を拭うと、より一層白皙の美しさに輝いたという。《傅粉何郎》(白粉の何郎)といえば白皙の美男子を意味する代名詞となる(第1回ほか)。

荀 令《xun2ling4》 ……  荀ケ《xun2yu4》を指す。三国時代曹操の策士。生まれつき身体から好い香をはなったという。『世説新語』に「彼が人に家に行って、彼の座ったところは三日間ずっと好い匂いがした」とある。後に、美男子の代名詞。一説では荀令は晋朝中書令の荀?(xun2xu4)を指すと(第1回ほか)。

昭 君《zhao1jun1》 ……  王?《wang2qiang2》、字が昭君。元帝の時の宮中での美女。蛮族との和議のために嫁入りを命ぜられ、異戎の装束をつけ、馬にまたがり琵琶をかかえて、塞を出て行ったという(第1回ほか)。

盧 医《lu2yi1》 ……  盧扁、扁鵲《bian3que4》(へんじゃく)のこと。戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。渤海郡?(現河北省任丘県)人。家が盧(現山東省長清県西南)に住んでいたので、盧医と呼ばれた。長桑君に秘方を授かり、天下の名医となったという(第2回)。

也 先《ye3xian1》 ……  (1407〜1454)モンゴル族、オイラート部の首領。英宗の率いる数十万の親征軍がこの也先により滅ぼされ、英宗は捕えられる。史上最大の愚挙と世にいわれる正統十四年(1449年)の「土木の変」がこれ。この戦で宦官王振をはじめ皇帝随伴の閣僚、文武百官が殺された。《額森e2sen1》とも音訳される(第2回ほか)。

王叔和《wang2shu1he2》 ……  魏晋時代の医学家。高平(現山東済寧東南)の人。官は《太医令》(皇室の侍医を勤めたこともある医者)。著書『脈訣』、『脈経』は当時医学を学ぶ者の必読書であったという(第4回)。

陳希夷《chen2xi1yi2》 ……  陳摶《chen2tuan2》を指す、五代宋初時の道士(隠士)。伝説では一眠りすると、百余日は寝つづけ起きなかったという人物(第4回ほか)。

周 公《zhou1gong1》 ……  周の文王の子、武王の弟。武王死後、武王の子の成王を補佐し、制度、礼楽を定め周王朝の基礎を築いた。孔子がかつて周公の夢を見たことから、周公は夢に喩えられた。孔子の理想とした聖人(第4回ほか)。

漂 母《piao3mu3》 ……  洗濯婆さん。韓信(漢の高祖に仕えた武将)の小さい頃家は貧しかったので、ご飯も満足に食えなかった。城下の川辺で魚をとって生計をたてていたが、ある洗濯婆さんが数十日間、続けて韓信に飯を食わせた。後に、韓信が楚王に封ぜられて、この洗濯女に千金もの銀子を与え恩に報いたという(第4回)。

優 孟《you1meng4》 ……  春秋時代楚の国の著名な役者の名前。滑稽、風刺くすぐりに長けていた。後、一般に、芝居の役者を指すようになる(第5回)。

?遂《gong1sui2》,黄覇《huang2ba4》 ……  二人共に西漢の清廉善良な官吏の代表(第5回ほか)。

王 振《wang2zhen4》 ……  (?〜1449)山西蔚州(現河北蔚県)の人。明代の宦官。教え子の正統帝が位に即いてからは出世を重ね、司礼監秉筆(へいひつ)太監という地位までのし上がり権勢をほしいままにした。「土木の変」で殺される(第5回ほか)。

陳妙常《chen2miao4chang2》 ……  宋代、女貞観尼姑。容姿端麗、詩文は美しく優雅、特に韻律が巧みであった。潘法成と相思相愛となり、臨江令張于湖との夫婦関係を断ち、潘法成について駆け落ちした(第7回ほか)。

褒?《bao1si4》,西子《xi1zi3》,妲己《da2ji3》,貂蝉《diao1chan2》
……  列記の名はすべて古代の美女の名。《褒?》は周幽王の、《西子》は西施で、呉王夫差の、《?己》は殷紂王の、《貂蝉》は三国時代董卓と呂布が争った寵姫。これらみな亡国か身をほろぼす禍をもたらした女たち(第7回)。

顔 良《yan2liang2》 ……  曹操の敵方袁紹軍の大将の名(第7回)。

伯 ?《bo2pi3》 ……  ?伯?。春秋時代呉国の太宰(宰相)であったので、またの名を太宰?と呼ばれた。阿諛追従の奸臣(第8回)。

顔 淵《yan2yuan1》 ……  顔回を指す。孔子の弟子。字が子淵ということから、顔淵と呼ばれた。春秋時代の魯国の人。孔子の器量を受け継いだ人として、後の人からは「復聖」と尊称された(第8回ほか)。

包丞相《bao1cheng2xiang4》 ……  (999〜1062)北宋の名臣包拯。原籍は盧州合肥(安徽省)。龍図閣直学士という任に就いたので包龍図と呼ばれる。剛直な名鬼判官として知られる。当時《??不到、有??包老》(公明正大な関帝聖君さまが来なきゃ、閻魔のような包公さまがおられるよ)という「剛直な裁判官」を意味する言葉があったそうな。わがあの「大岡裁き」の話はこの人物の伝説からヒントを得て作られたという(第8回ほか)。

河南程氏?夫子 ……  北宋の理学家程穎《cheng2ying3》と程頤《cheng2yi2》の二人を指す。「誠」と「敬」を以って徳を修め励行することが肝要と主張。後の人は彼らをお堅い道学者とした(第8回)。

柳盗跖《liu3dao4zhi2》 ……  春秋魯国の人、当時の有名な大泥棒。伝説では、一名を柳下跖と呼ぶが、盗跖と蔑称されていた。彼の事績は孟子、韓非子、荀子、商君子などの書に見える(第10回ほか)。

劉六《liu2liu4》,劉七《liu2qi1》 ……  明代正徳年間、農民を蜂起させた領袖。彼らの部隊は山西省、河北省、山東省など各地を転戦し、揚子江の南に至るまでの十省に横行した。小説本文では、世間の荒波にもまれ、経験豊富なシタタカな人間を比喩している。《晁住娘子是?六?七革出来的婆娘》晁住の女房はこの世の大風大波も経験してきたはしこい女である(第11回)。

于忠粛《yu2zhong1su4》 ……  (1398−1457) 于謙《yu2qian1》その人。土木の変で英宗が捕らえられると景宗を立て首都を死守し也先(エセン)侵攻を阻止。英宗帝位奪回後、謀逆罪で処刑されるが、後に処刑の不当が明らかにされ名誉回復、おくり名を忠肅とされた。三楊とともに明代の名臣と称賛されている人物(第12回ほか)。

三楊閣老 ……  三楊とは、楊士奇《yang2shi4qi2》、楊栄《yang2rong2》、楊溥《yang2pu3》を指す。この三人は前後(成祖、仁宗、宜宗、英宗の四朝)して入閣したので、三楊閣老(宰輔の尊称)と呼ばれた(第12回)。

張 鋼《zhang1gang1》 ……  東漢時の御史。廉直の士として有名。大将軍梁冀の奸計悪事を弾劾したことで首都に衝撃を与えた(第12回)。

温 造《wen1zao4》 ……  唐時代の御史大夫。廉直の士として有名。夏州節度史李祐を上奏弾劾した(第12回)。

卓 氏《zhuo1shi4》 ……  卓文君を指す。西漢臨?(現四川??)の人、卓王の孫娘。鼓琴を善くし韻律に通ず。夫を亡くして家に居たが、司馬相如と恋仲となり成都に一緒に逃げるも久しからずまた一緒に臨?へ戻り相如の妻となるが自分は酒屋を開いた。彼女の挙止が民間に流布、小説や戯曲の題材となる(第12回)。

周伯仁《zhou1bo2ren2》 ……  晋朝の周《zhou1yi3》を指す。字は伯仁。晋の王導が罪を問われ下獄さると、周伯仁は上奏文を書き王導を救ったが、王導はこのことを知らず。後に、大将軍の王敦が王導に「周伯仁なる人物はどうか?」と聞いたとき、王導は何も言わなかった。周伯仁が王敦に殺されてしまった後になって、自分を救う上奏文を書いたのが周伯仁と知り、泣いて曰く;「私は伯仁を手にかけて殺しはしなかったが、伯仁はわたしが殺したも同然だ、といったという。後に人々は《周伯仁之死》は「冤罪で殺された人」のことをさすようになったという(第13回)。

呉伯?《wu2bo2pi2》 ……  春秋時代呉王夫差の宰相。奸寧不忠の人。讒言で名臣の伍子胥(後日越の力の回復を恐れ、勾践を殺した方がいいという伍子胥の諫言を聞かず夫差は許してしまう)を殺してしまう。やがて越は国力を充実させ、勾践は呉を滅ぼし、呉伯?は捉えられ殺された。夫差は自殺(第13回)。

伯 顔《bo2yan2》 ……  (?〜一三四〇)バヤン。蒙古人。元の武宗の時、吏部尚書、御史中丞、尚書平章政事を歴任した(第13回ほか)。

朱家《zhu1jia1》,季布《ji4bu4》 ……  朱家は西漢初、魯の人。任侠の人で知られる。朱家は項羽を助けたために高祖劉邦に追われた季布を匿い、季布は禍を脱した。季布を救った人物として知られる。朱家は滕公(夏侯嬰)を説得し劉邦に季布を許すように勧めると同時に彼を郎官に任命した。朱家は季布が名を上げて後も終生逢いに行くことはなかった。季布は引き受けたら必ず実行したことから、その名を関中にとどろかせた。《得黄斤百金,不如季布一?》(黄金百斤を得ても、季布の一諾には及ばない。季布の一諾)という俗諺が生まれた(第15回)。

孔 褒《kong3bao1》 ……  東漢末年の魯の人。孔融の兄。孔褒は張倹とは親友。張倹が宦官侯覧を弾劾して追われる身となり、孔褒の家に逃げたが、孔褒はちょうど不在であった。しかし弟の孔融は禍を恐れず引き留めかくまう。しかし、ことは発覚、孔褒兄弟母親まで、かくまった罪で捕らわれ、最終的には、孔褒一人が収監され死ぬ。命を賭けて匿った孔褒は任侠の人物として知られる。(第15回)。。

安禄山《an1lu4shan1》 ……  (?−757)、唐代安史の乱の首領。営州(内モンゴル朝陽県)柳城を原籍。容貌は魁偉で体重300キロの大男、小説本文では《大肚》、《似弥勒佛身躯》と表現(第15回)。

董太師《dong3tai4shi1》 ……  東漢末年の董卓《dong3zhuo2》を指す。残虐専横の人、小説本文では《歪腸》と表現(第15回)。

海?王《hai3ling2wang2》 ……  金朝廃帝完顔亮《wang2yan2liang2》を指す。淫蕩破廉恥な皇帝。死後皇帝の称号を抹消され、海陵庶人と貶められたので、金海陵とか海陵王と呼ばれる、小説本文では《色胆》と表現(第15回)。

孫《sun1》,?《pang2》
……  孫は《孫?sun1bin4》?《?涓pang2juan1》を指し、二人とも戦国時代の軍事家(第15回ほか)。

穆 生《mu4sheng1》 ……  西漢魯の人。楚元王の友人。元王は宴会時に酒の好まない彼の為に、いつも特別な甘酒を用意していた。代が換わって元王の子戊が即位してから、宴会にその甘酒を用意するのを忘れてしまったことから、重要視されていないと悟り、穆生は楚王の元を去ったという(第16回)。

厳 母《yan2mu3》 ……  厳延年の母。厳延年は漢宣帝時、河南洛陽太守を勤めたが、酷烈な男で、所属する県の囚人らを皆府中に集めて処刑した。その流血は数里に及んだという。後に母がこの処刑の場を目にして曰く、こんな残酷なことでは、天道に背く、いい報いは受けない。壮年時にお前が殺されるのは見たくないといって、故郷に帰ってしまった。一年後、果たして、彼は告発され首を切られて死んだ。彼は、真冬でさえも囚人を処刑したので《屠伯tu2bo2》と渾名された(第16回)。

梁?夫人《liang2hao4fu1ren2》 ……  梁?は宋朝、山東の人。八十歳で状元(首席合格)となったと伝えられている人物。彼が青年の頃、望仙楼で読書していた時、忽然と大風が起こり、四川の地より薛?の娘薛玉梅が運ばれて来た。梁?は青袍を彼女にかぶせ抱きかかえて家に連れて帰り、やがて夫婦となった。その夫人。明の雑劇「青袍記」はこの物語(第17回)。

阿叔《a1shu1》,阿咸《a1xian2》 ……  晋の阮籍《ruan3ji2》とその姪の阮咸《ruan3xian2》を指す。二人ともに才名あり、竹林七賢に名をつらねている人物。世間では姪の方を《阿咸》と呼んだ(第17回)。

石 崇《shi2chong2》 ……  西晋の人。旅商人から掠め取って大金持ちとなる。天子の親族王?と富を競い、蝋を薪に換えて使ってみたり、塵埃を避ける錦の張り幕を五十里にわたって作ったりもした。王?は晋の武帝の後ろ盾があったが、それでも彼には敵わなかったという。後に趙の王倫に言いがかりをつけられ殺された(第18回)。

梁 冀《liang2ji4》 ……  東漢の大将軍。二人の妹は順帝と桓帝の皇后。横暴傲慢、奢侈、二十年余り政治を牛耳っていた。後に桓帝と中常侍単超らが梁冀を謀殺せんとしたが、梁冀は自尽。死後、財産は没収されたが、その額なんと《三十万万之巨》(30億の巨財)だったという(第18回)。

存孝《cun2xiao4》,彦章《yan4zhang1》 ……  李存孝と王彦章の二人を指す。ともに五代時代の勇将。李存孝はもとの名は史敬思。李克に引き取られ養子となり李存孝と改名する。向かうところ敵なしの勇将。王彦章は、《王鉄槍》と渾名された勇将。王彦章は、李存孝の勇猛さを聞き、武を競いあったが敗れ、彼の存命中は世に出て行かぬと誓い隠居する。後に、存孝が亡くなると、言葉どおり出て大将となり、天下無敵の勇将となった。《有了存孝、不?彦章》(李存孝が居れば、王彦章は出て来ない)。どちらかが居れば、恐いものは無い、どちらかが目をひからせているから、軽はずみなことはしてくれるな、という威し文句。諺に名前が出てくる例(第19回)。

范文丞相《fan4wen2cheng2xiang4》 ……  范仲淹を指す。江蘇呉県(現江蘇蘇州)の人。北宋仁宗時の参知政事(丞相に相当する地位)を任じ、死後、文正とおくり名される。内に剛、外に和の人。天下に己の任ずることを為す、で、《義田》(貧窮者救済用共同田地)を創設し、慈善事業、喜捨を喜んで行なった(第22回ほか)。

師 延《shi1yan2》 ……  紂王のために淫靡な音楽を作った人物。武王が紂を討ったとき、彼は恐れて、琴を抱いて?水に身を投げて死んだ。後に、衛の霊公が夜、この?水のほとりに泊った時、鼓琴の音を聞いたので、楽官の師涓を呼び、この曲の調べを学ぶように命じた。師涓はしばらく聞いた後で、「これは亡国の音です、こんな曲を習って何用になさるおつもりですか!」といったという。《?水》は東昌府にある名水の一つ、荘周の釣り台があることで知られる(第24回)。

旌 陽《jing1yang2》 ……  許遜。晋汝南人。呉猛仙人より三清法要を授かり、道術で、民の禍を除き、救った功績で、太康初年に仙人となる。宋代に神功妙済真君に封ぜられ、世に許真君とか許旌陽と呼ばれる。江西南昌府の鉄樹宮に鎮座、祀られている(第28回)。

壮 繆《zhuang4miao4》 ……  関羽を指す。三国蜀漢の大将。字は雲長。東呉の呂蒙が荊州を撃破し、関羽も子の関平も殺される。死後壮繆とおくり名される。民国初には岳飛とともに評価され、武聖とおくり名され、この関羽は台湾では、民間信仰厚く《関帝》とか《関聖》、《関老爺》などと呼ばれている(第28回)。

伍子胥《wu3zi3xu1》 ……  春秋時代楚の国の人。呉王夫差に仕えた大将。越王勾践を許してはいけないと夫差を諌めたが入れられず。やがて越に滅ぼされると断言したため、自殺に追いやられる。夫差は怒って、彼の死体を牛皮に包み河に投げ捨てたという。後に《江神》と称される(第30回)。

岳鵬挙《yue4peng2ju3》 ……  岳飛その人。南宋の武将。異民族金との戦いに功績あり。後に奸臣秦檜に毒殺される(第30回)。

文文山丞相《wen2wen2shan1cheng2xiang4》 ……  文天祥その人。号は文山。南宋末の丞相。宋が滅び、元兵に捕らわれたが、終始屈せず、北京菜市口で殺された。死後、山東布政使司のある東昌府の土地神に祀らる(第30回)。

姚廣孝《yao2guang3xiao4》 ……  明代の和尚。明成祖朱棣の功臣。朱棣(しゅてい)の燕王時代、参謀にとりたてられ起兵、帝位を奪いとったことから、第一の功労者として、太子少師の官位を授けられ姚少師と呼ばれた(第30回)。

江 淹《jiang1yan1》 ……  (444〜505)南朝梁の文学者。字は文通、考城(現河南省蘭考県東)の人。若いとき、貧しくも好学の徒で、文章が上手であったが、晩年は青年時より振るわなかった。伝説によると、夢に老人を見、その老人から五彩筆をもらって以降、いい文章を沢山書いたが、後年になって、またその老人の夢を見、返還を求められ、その五彩筆を返した。それ以降書けなくなったという。後の人がこのことを演じたことから《江郎才尽》(江旦那の才尽きる)という成語が出来た(第30回)。

李粹然《li3cui4ran2》 ……  小説中で、唯一実名で登場する人物。河南省懐慶府河内県の人。丙辰(1436年)の進士(第31回)。

甄 后《zhen1hou4》 ……  魏文帝曹丕の妻。僅か十数才の時に、母親に勧めて親族や郷里の者たちへの穀物を送り救済した。貧しい人々に広く恩恵を施した義侠の女人(第32回)。

米 ?《mi3fu2》 ……  (1051〜1107)べいふつ。北宋の書画家。挙止が《顛狂》(素っ頓狂)なところから《米顛mi3dian1》と呼ばれた。奇石を蒐集するのを好み、書画骨董の鑑識に優れた眼力を持つ。行書草書は筆使いが美しく、蔡襄、蘇軾、黄庭堅とともに宋代四大書家と称せられた。また山水画では水墨に色付けし、煙雲で樹石のコントラストを描き史上《米派mi3pai4i》と称された(第33回)。

趙師?《zhao4shi1yi4》 ……  ちょうしえき。南宋工部侍郎。おべっかの使い手として有名。ある時、太師の韓?冑《han2tuo1zhou4》に随い南園に遊んだ。韓太師がここの風景は田園の風情があるが、残念ながら鶏や犬の鳴き声が聞こえない、というと、趙は木陰に隠れ入り犬の鳴き声をまねて韓のご機嫌をとったという(第33回)。

祝 駝《zhu4tuo2》 ……  しゅくだ。春秋衛国の大夫。衛の霊公に祭祀の官として仕えた人物。孔子は《祝駝之佞》(祝駝を阿諛讒佞の人物)と評した。《佞》は雄弁、口達者の意(第33回)。

婁師徳《lou2shi1de2》 ……  ろうしとく。唐朝の大臣。将相を三十余年務めた忍耐の人。自分の弟に「もし人がお前の顔に唾を吐きかけられ、お前が自分で拭いたら、はきかけた者の意志に反するので、ふいてはいけない。乾くまでそのままにしておけば、相手を怒らせたり、恨みを買ったりはしない」といったという。《唾面自乾》の故事はこの男に由来する(第33回)。

尉遅敬徳《yu4chi2jing4de2》 ……  うっちけいとく。隋末初唐の勇将尉遅恭、字が敬徳。英雄の気概を持った男として知られる。唐の太宗李世民を補佐、征戦し功あって元勲となり、世家となって、鄂公に封ぜられた。少数民族であったことから、胡の人と呼ばれ胡敬徳と小説や戯曲の中ではこの名前で書かれることが多い。張飛とともに勇猛で負けず嫌いの人物の喩に出される(第34回ほか)。

徴 舒《zheng1shu1》 ……  夏徴舒を指す。夏姫の子。夏姫は鄭穆公の娘で、初め子蛮に嫁ぐも、子蛮は早死、続いて春秋時代陳国大臣夏御叔の妻となりこの徴舒を産む。御叔も早死すると、陳の霊公及びその大夫孔寧、儀行父ら三人ともども私通するなど好色淫乱淫蕩女の代名詞として史上に名が残っている。夏姫は子の徴舒に霊公、孔寧、儀行父を殺害するように仕向けるも、霊公、孔寧は殺されるが、儀行父は楚の国へ逃走。楚の荘王が陳国を攻め入り徴舒を殺し、夏姫は捕えられ連尹襄老の妻にさせられる。夏姫は年をとってもすこぶるの美形であったという(第36回)。

南 子《nan2zi3》 ……  春秋時代衛の霊公の夫人、政治に口を出し、甚だ評判の悪い女。もと宋の国の貴族。国にいたときから不品行を言われていた淫乱好色の女。霊公夫人になる以前、美男で淫猥の代表といわれる宋の公子朝を最初の恋人にしたという(第36回ほか)。

武太后《wu3tai4hou4》 ……  唐朝の則天武后。《武?wu3zhao4》は則天武后のこと。《?》は《照》、唐の武則天が自分の為に作った19個の文字の一つ(第36回)。

龍 陽《long2yang2》 ……  戦国時代魏王寵愛の家臣。俗に「男色」の代名詞にも使われる(第38回)。

擲 果《zhi1guo3》 ……  晋の潘岳を指す。字は安仁。俗に潘安と呼ばれた。歴史上有名な美男子。潘岳が外出するたびに、路上で出会った女達はみな彼を見てうっとり、まつわりつき果物を捧げたという(第38回)。

宋 朝《song4chao2》 ……  春秋時代の宋の公子朝。その美貌ぶりから衛国夫人宣姜に可愛がられる。論語では「美貌だけでもっているものは危ない」と評されている男(第38回)。

彌 子《mi2zi3》 ……  彌子瑕を指す。春秋時代衛の霊公の男寵。彌子瑕が食い余した桃を霊公に食べさせたことがある。霊公はそれを汚いと思わず自分を愛するが故に美味しい桃を独り占めにせず、余して自分に食せしめたのだと考えた、というほど霊公に寵愛された。このことから《余桃》という語が《断袖》、《龍陽》などと同様、「男色」の代名詞にもなっている(第38回ほか)。

沙家?利《sha1jia1zha1li4》 ……  沙?利を指す。唐時代の蕃将。沙?利韓?《han2hong2》の妾の章台柳を横取りしたが、後に武官の許俊が計略をめぐらし章台柳を奪い返し韓?のもとへ返したという。後に「横取りする者」を《沙?利》で喩えた(第40回)。

若 敖《ruo4ao2》 ……  若敖子文を指す。春秋時楚の国の執政官。子の越椒の贅沢三昧、無軌道な暮らしぶりに、いずれ一族を絶やし、若敖一族の祭祀を誰もしなくなるであろうと嘆いて死んだ。果たして、若敖氏は越椒の代で断絶させられた。後に、若敖は《絶后、絶嗣》(後継なし、子孫が絶える)の喩える語となる(第46回)。

閔 損《min3sun3》 ……  孔子の弟子閔子騫《min3zi3qian1》を指す。彼は継母の虐待を受け、冬に葦の花で作った棉衣を着せられていたが、父親に鞭打たれた時に継母の虐待が発覚したという。後に、《鞭打芦花》の故事で継母の虐待を表わすようになる(第48回)。

梁鴻《liang2hong2》、孟光《meng4guang1》 ……  梁鴻は東漢時の人。孟光は梁鴻の妻。夫婦ともに覇陵山中に隠れ住み、機織り田畑を耕す生活をし、夫婦相敬うこと接客する如しで、互いに尊敬しあった。後の人に夫婦の鏡とあがめられた(第48回)。

?太君《she2tai4jun1》 ……  しゃたいくん。戯曲小説中の人物の名前。宋の時代初めの頃の名大将楊業の妻。夫の死後、大将となって全軍を指揮したという女傑(第49回)。

秦良王《qin2liang2wang2》 ……  明末の著名な女大将。四川省石柱県の宣撫使馬千乗の妻の名。夫の死後、彼女は民衆を統率、戦功を立て、都督簽事の地位を授けられ、総兵官となった女傑。本小説は明の成化年間の事を描写しており、この秦良王の時代より百年ほど早い時代の物語であるが、作者が明末清初の人物なので小説の中では《定是近日里秦良王的上将》(定めてこれ近日の女将軍秦良王の上将ならん)のように近日と表現した(第49回)。

毛 遂《mao2sui4》 ……  戦国時代趙の人。平原君の食客。秦が趙を攻めた時、平原君が問客(とりまき)連中を従え、楚の国へ行き、救援を求めた。毛遂はこれに自らかって出、随行した。問客は楚王の出兵援軍説得に失敗した。そこで、毛遂は剣を手に掛け身を呈して楚王に利害を説き派兵を承諾させた。後に勇気を振い自薦することを《毛遂自薦》」というようになる(第54回ほか)。

伊 尹《yi1yin3》 ……  商の時代初期の大臣。名は伊。尹は官名。またの名は摯《zhi4》。家僕とか奴隷の出身といわれるが、後に湯王の夏桀討伐に功績があり、十数年政を司った(第54回)。

純陽仙子《chun2yang2xian1zi3》 ……  呂洞賓《lv3dong4bin1》を指す。唐代京兆の人。《呂祖》、《純陽老祖》とも呼ばれる。伝説では、神仙の住む洞天福地には、天上に八洞、地上に八洞ありの区別があるという。天上八洞仙人の一人(第56回ほか)。

孟 獲《meng4huo4》 ……  南中(雲南・貴州)の異民族の酋長。諸葛孔明の南中遠征時、七度捕らえられ七度釈放され、孔明に心服したという男(第61回)。

李 靖《li3jing4》 ……  (571〜649)唐初の武将。唐太宗李世民幕下で、功あり衛国公に封ぜられる。若かりし時、隋朝越国公揚素に謁見した際、揚素の姫妾ら排列の中に家妓紅拂がいたが、紅拂は李靖に情を移し、夜中李靖の寝所に走り、李靖は夜中紅拂を連れ逃げ去ったという(第61回)。

張翼徳《zhang1yi4de2》 ……  (?〜221)翼コは益コ。張飛その人。三国蜀漢の武将。関羽とともに劉備に仕えた。出目の目つきの鋭い人物(第61回)。

巨毋覇《ju4wu2ba4》 ……  伝説によると、西漢末年、王莽時代身の丈一丈有余で大力無双の巨人。後に、彼の名は巨漢の代名詞として使われるようになる(第61回)。

盧丞相《lu2cheng2xiang4》 ……  唐時代の奸臣盧杞《lu2qi3》を指す。醜い容貌で顔の色は青く光っていたことから、青い色をした鬼の面構えであったと云う(第61回)。

漢高祖《han4gao1zu3》 ……  西漢王朝の建立者。劉邦その人。彼は芒?山中で《白帝子》と呼ばれていた白蛇を真っ二つに斬ってみせたほどの豪傑であったが、妻の呂雉《lv3zhi4》には頭が上がらない恐妻家であったと云う(第62回)。

戚大師《qi1da4shi1》 ……  戚継光《qi1ji4guang1》その人。倭寇と戦い功績のあった明代の名将だが名だたる恐妻家だったと云う(第62回)。

陳 循《chen2xun2》 ……  (1385〜1462)明・太和(現安徽)の人。号は芳洲。永楽時代初めの進士。戸部右侍郎、戸部尚書、華蓋殿大学士など歴任。進言多く取り入れられたが、性質は辛辣短気、士大夫に冷淡であったことから、石享らにおとしめられるも、自ら上奏し許され平民となり死ぬ。《陳芳洲》、《陳循閣老》などの名でも知られる(第62回ほか)。

張良?《zhang1liang2di4》 ……  唐肅宗が太子の時、東宮に入り、《良?》(皇后に次ぐ寵愛第一位の妃)に封ぜられ、こう呼ばれるようになる。肅宗即位後、皇后となる。宮中を掌握、肅宗死後、内官らと共謀、越王を擁立、帝とせんとしたが成らず廃され、庶民に落とされた(第62回)。

劉六、劉七、斉彦明《liu2liu4,liu2qi1,qi1yan4ming2》
……  河北文安の人、劉六(寵)、劉七(宸)と斉彦明(史書によれば、斉彦名)。三人いずれも明代の著名な農民を決起させた領袖。正徳年間一時、義軍を率いて、中原一帯にその名をとどろかせた。官軍をたびたび打ち破り、全盛時には十三万人もの群集を率いたという(第71回)。

盧 杞《lu2qi3》 ……  (?〜約785)。唐滑州霊昌(現河南省滑県西南)の人。字は子良。淮西節度使李希烈の反乱の際、軍資金の名目で、金をほしいままに搾り集めたことで、民から恨みを買った。唐代における陰険酷薄、悪の代表(第72回)。

蘇小小《su1xiao3xiao3》 ……  南斉時、銭塘の名妓。容貌絶世、色芸冠絶。死後西湖のほとりに埋葬され、今もその墓がある(第72回)。

関??:《guan1pan4pan4》 ……  唐節度使張建封の妾。元は徐州の美妓。歌舞に長け、詩を能くした。張建封の死後、邸内の燕子楼に独り住み十数年嫁がずにいたが、結局、食を絶ち死ぬ。後、この美妓にまつわる話は芝居に仕立てられ様々に潤色されて衆人の知るところとなった(第72回)。

仇十洲《qiu2shi2zhou1》 ……  (1493〜1560)仇英その人。十洲は号。太倉(江蘇)の人。出は漆塗りの職人であったが周臣に絵を学び、文徴明に賞賛され世に知られるようになる。古人の名画を模写することからはじめ、描いては売り売っては描く絵一筋の生活をした。苦節発奮、独自の画風をうちたて、沈周、文徴明、唐寅とともに明代四大画家の一人と称されるまでになる。春画の作者としても知られる(第75回)。

魚玄機《yu2xuan2ji1》 ……  唐長安(現陝西西安)の人。女詩人。字は幼微。後に女道士となる。読書を好み、文才あり。文士の温庭?らと交遊、一時浮名を流す。寵愛の女童緑翹と客人との仲を疑い、鞭打ち殺してしまう。この事件が発覚し、玄機は行政長官の温璋に殺される(第78回)。

邵堯夫《shao4 yao2fu1》 ……  邵雍、字は堯夫。おくり名は康節。北宋の哲学者。河南省輝県の百泉にて余生を過ごした。「象数之学」を研究していたことから、世間の人々からは、彼は過去未来のことを推算占うことができる人であるとされていた。そのため、後世の占いに奉ずる者から占いの神様と崇められた(第79回)。

呂蒙正《lv3meng2zheng4》 ……  宋朝河南洛陽の人。北宋の賢相。龍図閣大学士。貧しい家に育ったが、後に科挙進士の首席合格者となる。前後して二度、丞相に任ぜられ、許国公に封ぜられた(第88回)。

趙子昂《zhao4zi3ang2》 ……  (1254〜1322)趙孟?《zhao4meng4fu3》その人。字が子昴、号は松雪道人。元朝初期の書画家。宋太祖趙匡胤十一代目の孫。書道の大家として知られ《趙体》の称を持つ。また精緻な画法で山水、花、竹、人馬等を描くのを得意としたが、書法の技巧も取り入れ木石、花、竹を書いた。ほか、風流小説『肉蒲団』」にも実名で超子昴の名が見え、春画も描いていたことが知れる。(第93回文中では《他??些趙意》ここの《趙》は彼を指し、「趙孟?(趙子昂)の筆使いを思わせる」の意。

彭状元閣老《peng2zhuang4yuan2ge2lao3》 ……  彭時《peng2shi2》その人。字は純道、明代正統帝時の進士首席合格者、成化時では吏部尚書。文淵閣大学士であったので、状元閣老と称された(第90回)。

姜立鋼《jiang1li4gang1》 ……  明代の書道家、楷書を善くした。天順、成化の時代、天子の詔勅はすべて彼の書体を模範として書かれたので、一般に彼の字体が好まれ流行した(第93回)。

陳 慥《chen2zao4》 ……  陳季常《chen2ji4chang2》を指す。北宋眉州青神(現四川)の人。恐妻家として有名。蘇東坡とは親友。或る日の夜、数人が集まって談笑していたが、突然、陳季常の妻が現れると、季常は妻の来たことに驚き、顔色を変え手に持っていた杖を落としてしまったという。これを見た蘇東坡は戯れに季常に詩を贈って曰く《忽?河??子吼,?杖落地心茫然》。ここから、後の人は、やきもちやきのじゃじゃ馬やまのかみを《河東獅子》というようになり、この悪妻が腹を立てるのを《河東獅子吼》といい、恐妻家を揶揄した言葉となる。恐妻家を《季常癖ji4chang2pi3》ともいい、陳季常を恐妻家の典型とした。小説中の主人公狄希陳と云う名もこの陳季常の姓名をもじって付けたらしい(第97回)。

朱大尉《zhu1tai4wei4》 ……  (852−912)唐末の朱温《zhu1wen1》を指す。唇が腫れあがる病気を俗に《?嘴瘟zhong3zui3wen1》という。本文《照他嘴上?得相朱太尉一般》(刺されて唇が豚の唇のように真っ赤に腫れあがった)。つまり、《猪zhu1》(豚)は朱《zhu1》に、《瘟》は温《wen1》と同音であることから、朱太尉=朱温(猪瘟)のようだと掛け言葉にした箇所(第100回)。
2017年7月7日


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深沢俊太郎



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