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佳木斯発午前十時五十三分の二七五号列車に乗るように駅の服務員からいわれたのは、定刻より三十分ほど遅れた十一時二十分ごろになってからでした。ハルビン方面に向かって二百二十三キロのところにある桃山という街までの約五時間の旅に、我ら日本人一行三人が臨んだ時のことでした。
と呼ばれる列車のコンパートメントは、四人部屋で、いつものように、あと一人、どんな乗客が乗り込んで来るのかが、長い道中での、私の密かな楽しみでもありました。この日は、周延河さんという名前の黒龍江省日報の記者が、その一人となりました。材を求めての日程も、終盤にむけて、里心がつきかけていた長旅で、いささか滅入って来ていた我々を、この周延河さんが抱腹絶倒させてくれたのでした。初対面の中国人と会話を楽しめた自分がこの時ほど、たのもしく思えたことは、ありませんでした。しかし、なんのことはない、話が万国共通の色話だったから、に、他ならなかったわけで、これは自慢にはなりません。ともあれ、この周延河さんから、
なる"絶倫"への道をひとしきり、車中講義してもらったのでした。
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やがて講義が終わって、「これなる方法は、女人にはゆめ、教えてはならぬ。女人は慾深きものなれば、マスマス、これ以上のことを求めてくるようになるのだから」
という言葉でしめくくられたのには、まいりました。
きわどい話を、ニヤニヤすることもなく、ジェスチャーたっぷりの微に入り細をうがつ表現は、やはり、一つの芸ではありました。
それにしても
「女の慾は限りなし」
とは、周延河さんも、よくいったものです。このことを周延河さんは、別の表現でも教えてくれました。
「一定の成果を収めると、また大きな困難が来る」という俚諺の喩えを引いて、「女の慾深さ」を表現したのでした。そして曰く、「男は黙って、それ以上の手を打てばよいのだ」と、解く周延河さん。つまり、「困難が生じてきたら、それ以上の手を打つ!」といって、正しくこれだ、と、周延河さんはいうのです。女人(てき)さんがその手で来たら、更にその上手を行って、その手は、女人には教えてはならない、というのです。男は、ひと処に、甘んじて、留まることなく、精進せねばならないワケが分かった気に、すっかり、させられてしまいました。
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前置きが長くなってしまいましたが、この稿は、「男陰」を意味する中国語を学び、それにまつわる俚諺たちを覗くのが目的です。そして、終りに、周延河さんから教わった「秘伝」を読者の方々に、密かに公開する、というねらいがありますので、最後まで、読了せられんことを、願う、次第。
まずは、標題にあげた
です。日本語のルビは「マラ」としておきましょう。
『痿陰隠逸伝』には、「漢には、勢と云い、また(きう)といい、陰茎といい、内具と呼び、中霊となづけ、俗語にて、鶏巴といい、紅毛にて呂留という。」
とあり、和訓を「きいは」としています。
この他、マラを意味する中国語の表現では、
(尖は上が小、下が大の意味。つまり、顔は子供でも下は大人、年に似合わず、ませた男のペニスをいいます)
などがあります。
またいわゆる「息子(ムスコ)」「倅(セガレ)」のたぐいでは、
というように、この手の表現は、いずこの国も同じで、イロイロあります。
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中国の古書に、見えるものとしては、
:「西廂記」(元代)
これはに同じで、はに同じです。
:「三遂平妖伝」(明代)
:「金瓶梅」(明代)わざわざ「かみかんむり」をつけるところが面白い。
:「笑府」(明代)というのも愉快です。
:いずれも「醒世姻縁伝」(明末清初)に見えます。は、山東省方面の方言で、男の子の「ちんぽこ」「おちんちん」といったニュアンスを持つ言葉です。
:(《毛》へんに《Y》の字):「笑林広記」(清朝)
この字は、諸橋先生の大漢和辞典にも出ていないですし、パソコン用漢字ソフト「今昔文字鏡(こんじゃくもじきょう)」からも引っ張って来ることのできない字ですので、一字としては表記できませんが、《Y》(ya)は「ものの分かれるところ」とか「ふたまた」の意、これに「毛へん」。なんとなく分かるような気がします。
:「十二楼」(清朝)
これはに同じです。このほかこの「十二楼」には:
などと味わい深い表現も見えます。
:「紅楼夢」(清朝)(これも《毛》へんに《Y》の字、"ヤァヤァ"とでも発音するのでしょうか)
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日本語だって負けてはいません。古くは「成り余れる所」、「玉茎(たまぐき)」、「生き針」、「男茎(おはぜ)」、「厄介棒」、「こね棒」、「でっち棒」、そして、今や「魔羅(マラ)」、「珍棒」、「ポコチン」、「チンポコ」、「チンポ」、「チンチン」などがあります。
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なるほど、と実感するようなのに「老男陰」を意味する「干(ほし)大根(だいこん)」、「提灯(ちょうちん)」があり、はたまた「糞掻(くそかき)」という、ちょっとキタナラシイ表現もありました。これは、「下反(したぞり)」の俗称で、正上位でナニをいたしますと、つまるところ下突き、逆突きとなって、女人にとっては味悪く、便意さえ催させる下品なチンボコの部類に入ることからつけられたといいます。また「中ぼそりの胡瓜(きゅうり)」などという人をバカにしたようなもの、「唐傘珍宝」(先太(さきぶと)の類)なんというのもあります。
余談ながら、漢方薬にというのがあります。これは、オットセイのペニスと睾丸のことですが、日本では、この生薬名を海生哺乳類、あの「オットセイ」動物全体を指す言葉として使われているところが愉快です。火野葦平の「麦と兵隊」に、をオットセイとルビをしている箇所が見えます。
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ま、いま少し中国産の言葉たちを追い求めて見てみましょう。
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「武大郎のマラ――大きくならない!」(よくなる見込みがない喩え)
武大郎とは、水滸伝に出てくる武松の兄で、毒婦潘金蓮(はんきんれん)の夫、風采のあがらない小男の代名詞として使われています。
水滸伝が出たついでですが、武松が潘金蓮と西門慶を殺し、孟州城に配流され、その途上で、酒店に休み、酒を飲み、人肉マントウを食う場面があります。
(このマントウの餡(あん)肉にゃ毛が入っていやがるが、こりゃあ、どうも人さまの陰毛に似てるぜ)の毛がある、つまり「陰毛」が混じっているというのです。このという語は、漢訳仏典『十誦律』に見えます。ボボ考を参照してください。
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「セガレが六本の筋を浮かせ、おっ立てると、みさかいがなくなるもの!」これは、わが「ききわけのないもの、を連想させる表現です。
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「せっぱつまれば、人の上に乗っかっていくもの!」これは、我が「あばれるセガレ引っかかえ内へ入れ。」にあたりましょうか。
いきり立った先は、やはり収まるところへオサマラないといけません。
「倅どこへ行く青筋たてて、生まれ故郷の赤門さして。」
「倅どこ行く青筋たてて、故郷の畑にタネまきに。」
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ところで、人間の性慾とは、いったい、いくつぐらいまで続くのでしょうか。
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「年寄りは、十中八九までが助平である」
歯がいかれ、眼がダメになり、マラも小便のみの役割りへとなり、そして、やがては小便のみの役割りも、ママならず、残尿四割、五割となり、小便すら、満足に出て来なくなる病もある、というのですから、やはり、老いは恐いものです。しかし、この俚諺は、現実の体力の衰えとは、関係のないような響きさえ、感ぜられます。老いてますます盛ん、という性慾を表現した俚諺に、違いありません。
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こんなのもあります。
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(六十は"波"があとからあとから押し寄せる、七十でもまだ"波"は押し寄せてくるもの)
人の色事への追求は尽きないのでしょうねぇ……
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次のは、長大堅固、長くて太くて固い逸物の一物(いちもつ)を謳った詩です。
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「いちもつは、もとより六寸の長さ、
ある時は柔軟に、ある時は剛。
軟らかきは酔漢の東西に倒れるが如く、
硬きは風僧の上下に狂うに似る。
女陰に出入りするを本事と為し、
腰まわり州臍下県を家郷(ふるさと)とし、
生まれつき二子(キンタマ)を身のそばに随わ(したが)し、
かつて佳人と幾場を闘わ(たたか)せたことであろうか。」
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次のは「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」の一例です。イチモツを硬いダイヤモンドに喩えているところが愉快なので、挙げておきましょう。
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「夫婦に一夜明けて持ち越す怨みなし、
只(ただ)に金剛(ダイヤモンド)のついた錐(きり)を所持するに因(よ)ればなり。
躯(からだ)に寄り添い三たび撫でさすれば、
殺人の恨みとて半分はなくなるもの」
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こんなのもあります。
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「頑固なヤツほど、すぐ脱ぎたがる」
中国語音の響きがなんともユーモラス。中国語をやられる方(かた)は、声を出して、読んでみてください。《板》は《版》。これは、貨幣の鋳型の意で、宋の時代、一版は、必ず六十四文であったことから、転じて「人の甚だしく頑固な喩え」に使われるようになりました。
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(「醒世姻縁伝」第六十七回)
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「ロバの黒チンに墨(すみ)を塗る、塗ってみたって見分けがつかない――ムダなこと!」いわゆる(一種の洒落言葉)です。
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「男の下身(した)にゃ棒(サオ)一本、渡る世間に誰もケチはつけやせぬ」
つまり、男はチンポコをぶら下げて堂々と生きることだ、と謳っております。
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さて、珍棒どののお話をしたら、次には、やはり、その影に隠れている「金玉」の話もせねばいけません。
さて、キンタマに「金玉」と漢字をあてるのは、単なる宛字、なのでしょうか。
小さい頃、
「タンタン狸のキンタマぁー
風もないのにブーラブラぁー」
と、唱って喜んでいましたが、今の子も歌うのかどうか……この歌の続きは、
「それを見ていた親狸、腹をかかえて、ワッハッハぁー」
いやはや、なつかしい……
"チズリモモズリ"は別として、独り手持ち無沙汰に、いじくるのは、竿ならず、玉のほう、という御仁もおられるでしょうから、まず、わが国の古い本に登場する金玉という言葉の出てくる部分を抜き出してみましょう。
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「柿もぎの金玉寒し秋の風」(良寛)(あの良寛さんも、金玉を詠(うた)っているのです。なんとも親しみを覚えます。その良寛さんは、宝暦七年(一七五七)生まれ、天保二年(一八三一)に亡くなっています)
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「馬鹿なこと娘にきんをけられ損」明和五年(一七六八)、「柳多留」
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「睾丸(キンタマ)の重みに孤老たり」安永年中(一七七二〜一七八〇)、「武玉川」
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「金は生かして使ふにしかず。生きた金とて、ものいったためしなく、死んだ金とて、幽霊にもならねへ。ただ殺すと生かすとは、かの屁玉と金玉ほどの違いはあるなり。」天保八年(一七八八)、山東京伝「夜半の茶漬」
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「仙気持ち、遊びに行きしが、あまり冷えるから、火鉢で、きん玉あぶっている。女郎見て「スカヤ、せん気でありんすの」客「インニャする気サ!」安永二年(一七七三)、武子「俗談今歳花時(ことしばなし)」
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「ヤレヤレ、今夜は久し振りで、金玉のしわのばしに来たが、イヤ、いつも面白いのは、散財じゃて……」天保頃、一荷亭半水「ことわざ臍の宿替」
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「そりゃ、成る程、睾丸火鉢も釣り方で……」文化十三年(一八一八)、式亭三馬、梅亭金鷲「人心覗機関」(睾丸火鉢は、金玉火鉢とも書かれる)。
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というように、キンタマという言葉をジャンジャンしゃべり散らし、どんどん書き散らしたのは、江戸の人たちでした。笑語、戯作以外でも、この言葉を使うのに、まったく躊躇はしなかったようです。表記は、「きんたま」「きん玉」「金たま」「金玉」のほか、睾丸、にそれぞれ「きんたま」とルビをふり、また「きん」のみのもあり、「きんダマ」と濁るのも見えます。
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「古事記」には、イザナギがイザナミに向かって、我には、成り成りて成り餘れる処がある故、汝の成り成りて成り合わざる処に刺し塞いで、国土を産生したらいかがか、と笑わせています。この「成り成りて成り餘れる処」は、ここでは、棒、つまり、サオのほうが主役ですが、これを何と呼んだかの記述はありません。「成り成りて成り合わざる処」は、別の場所には、陰上、富戸(ほと)とあります。日本書紀には、この場面を、雄元、雌元、とはっきりと書き表していて、「おのはじめ」「めのはじめ」と訓(よ)む、とある、と聞きました。
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源隆国(「宇治拾遺物語」の作者といわれる)の頃は、このモノをたいてい「ふぐり」と称していて、「宇治拾遺物語」の中に見える「――夜のふけて、さりにさりに寒きにふりちうふぐりをありちうあぶらん」夜がふけて寒いゆえ、キンタマでも、あぶろうという歌で、源隆国の時代から八百年ほど後の江戸では、これが「金玉火鉢」と、なるわけですから、人のやることは、あまり変わらないといえましょうか。
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藤原明衡(九八九生まれ)の作といわれる「鉄槌伝」には"不倶利"、一名"下重"と見え、"ふぐり"というのは、「外交有りといえど、内利を倶にせぬゆえ、不倶利というのだ」と、こじつけた戯文で、下の下重は、「和名抄」には陰頽、俗に"曽比"と云う、とあるそうで、の頽(くず)れる病気らしい。
書物の中に出てくる「キンタマ」は、だいたいは、寒さに縮みあがったり、驚きのあまり、上がったり下がったりするばかりで、いざ一儀という時には、「鉄槌伝」の云うごとく、タマは、サオと違って深処、アナには入っては行けず、サオの得る恩恵、内利のゴリヤクを倶(とも)にできない損な役のシロモノです。
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「和名抄」に、「陰核、俗に篇乃古という謂う」とあるそうで、狩谷掖斉は、これに注して、今の俗、陰茎を篇乃古と謂うは亦誤る、と説いているそうですが、つまり陰核も"へのこ"も棒、竿のほうではなく、玉のほうであるというのです。平安朝の頃は、キンタマ、を"ふぐり"とか"へのこ"と称したらしいのですが、掖斉の頃(掖斉は一七七五年生まれ、天保六年(一八三五)、六十一歳で死す)には、"へのこ"は、おおかた前の棒、竿のほうへ移っていたので、このように注をしたのでしょうか。
この"へのこ"の"棒"への移転は、貞享三年(一六八六)に成った鹿野武左衛門の「鹿の巻き筆」にすでに見えています。六蔵という男が着ているものは、すべて他から借りたと次々語るそのオチに、
「下の帯、羽織はお主のか」
「いや旦那のを借りました」
かの人あきれはて「さても借りたり借りたり、借らせられぬ物は、へのこばかりじゃが」
といえば、
「是も借り物なり」
という。
「是はどうして借り物じゃ」
と問えば「皆人が馬のものじゃと申さかいで、これも私のものとはいはれまい」
この話は「昨日は今日の物語」よりおそらく借用したもので、こちらのほうには、"へのこ"が"しじ"となっていて、以下のとおり、こちらは、正確に使われております。
「……御ちごさまのお里が不辨さに晴れがましき時は、何もかも借り物じゃ。借らせられぬ物は、しじばかりじゃ、あら笑止や」
と三位が申せば、ちご聞き召し、
「まことに口惜しや。しじもわが物でない」
「なぜに」
「見るほどの人が馬の物じゃと云うほどに」
と。また同じ話は、安永二年(一七七三)「軽口大黒柱」にも見えて、これには、"指似(しじ)"とともに"ちんぽ"という言葉も使われています。
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灌仏(かんぶつ)やふぐり包みて佇(た)ちたまふ(阿波野青(せい)畝(ほ))
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淡紫色のパラパラと正しく星がまたたくが如く野に咲くゴマノハグサ科の二年草「犬のふぐり」という草花のあることを知ったのは、ちょうど本原稿を書いていたときでした。植物への興味移行も、筆者は六十の手習い、見るもの、聞くものみなこれ新鮮、この「犬のふぐり」という名を聞いた時は、正直仰天。でも、密かに顔のほころびを覚えていたのを思い出します。「犬のふぐり」この名付け親の発想の嶄新さに驚喜し、偶然とはいえ、筆者がタマタマ「タマ」のことをマジメに書いていた時が重なったことから、格別な感慨をこの草花に持ったのも当然?と云えましょう。そこで、というわけでもないのですが、稚拙な句を二つ三つ:
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寺島良安の「和漢三才図会」(正徳二年(一七一二)には、「且、へのこ、音は疽。、音は求。勢、音は世。島、音は貂。外腎、玉茎、陰核(和名は篇乃古)」とあります。陰核をへのことするのは、多分「和名抄」をひいたので、外腎も勢もキンタマ、陰核、篇乃古(へのこ)もキンタマを指すようで、玉茎、島は棒、サオのほうですから、どうも混在しているようです。寺島氏が以上すべてを棒のほうにあてていることは、この次に、、、睾丸の一項が別に立てられていることからも明らかです。島は、鳥に同じ、男子の陰茎、ちんぽ(鶏巴)ともいうと中日大辞典にあることから、どうやら貞享の頃には、すでに"へのこ"を前のほうの棒、サオにあてていた人もあり、掖斉の頃、江戸の後期には、大方は棒、サオのほうに移っていたと思われますが、どうでしょうか。
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中国語で《金玉》といえば、《金》と《玉》とで「貴重な宝物」のことをいいます。たとえば《金玉満堂》とは「黄金や珠玉が部屋に満ちあふれていること」を表現する言葉ですが、これがなんとそのまま料理の名前にも使われています。「トウモロコシ」と「松の実」を炒め合わせただけのものらしいのですが、これは、津山高専・杉山明氏の中国菜単知識講座159に詳しく見えます(「週間中国語世界」297より)。また《金玉君子》といえば、キンギョクの如き君子であると称賛した意味で使われます。金玉という名の付く人もおります。
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金玉、明の浦江の人。官は永楽中鷹揚将軍云々……。
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また後魏のは、字(あざな)を珍宝といったそうです。
中国の人には責任のないことですが、われわれ日本人が「金玉将軍」という文字を目にしたり、字を「珍宝」などと口に出して読むと、つい笑ってしまいます。現実に筆者も、黒龍江省でのことですが、名詞を交換して驚いたことがあります。金玉生という名の人でした。その時は、笑いをこらえるのに非常な努力が必要だった、と帰国してから友人に話したところ、即座に「何故その時、日本での意味をはっきりと、云ってやらなかったのか! そうすれば、本当の友達になれたかも知れないのに」と云われ、「それもそうだ」と後悔した記憶が今も残っています。
逆に、日本人の名前も中国人にとっては笑えるもの、も、あります。櫻井(さくらい)という名前がそれです。日本人の名前は、中国の人は、普通、そのまま漢字を中国語読みにしますが、この「櫻井」を中国読みにすると、ローマ字表記では「yingjing」となります。何故おかしいか、というと中国語の、(陰茎、ペニス)をローマ字表記にすると「yinjing」となって、カタカナ表示では、いずれも「インジン」、無論、四声は異なりますが、このように、櫻井と陰茎の中国語発音は、ほぼ似たりよったりの同音のためです。櫻井という社長を中国人に紹介した時、その友人の中国人は、ボクをチラッと見て、ニヤリとしたのを思い出します。これは、櫻井社長当人には、まったく責任のないことではありますが、《陰茎社長》となれば、中国人とて同様、ほくそ笑むのもやむを得ないでしょう。他国のことを笑ってばかりはいられない一例でしょうか。
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余談になりますが、愛媛や高知あたりの方言に「いごっそ」と「はちきん」というのがあると聞きました。「いごっそ」は男を指して、「はちきん」は女を指して使うらしいのですが、意味は、「がんこ者」「いっこく者」「気むずかし屋」といったような意味。ただ、これだけの意味では、まだまだいい足りないニュアンスがこの言葉の奥・裏にあるようです。それはともかくとして、男を指して言うこうした意味あいの女人を称して「はちきん」と云うのだそうです。では、どうして「はちきん」なのか、というと、解説者曰く:それは『男・四人』タバにかかってもかなわない「気丈な女」を意味するのだ、というのです。つまり「……男……四人、金玉合計八!……それで『八金』、『はちきん』である」という。……とまあ、話の落ちはコレ。単なるそれだけの話なのですが、ボクにとってはナルホド、なるほど、の解説だったわけです。
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かの有名な小説「紅楼夢」は、一名を「金陵十二」また「石頭記」、「風月宝鑑」などともいい、また、なんと「金玉縁」とも、いったそうです。紅楼夢が、誨淫の書として発禁されたゆえ、かくのごとく、色々タイトルを変えては繰り返し出版されたらしいのですが、中でも、金玉縁というのはなんともはや、よほどみだらな本のように我々日本人には聞こえます。
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キンタマなる言葉について、中国語起源説があるのであげておきましょう。
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一つは《睾》の音、福州音の別音、keingかking、kinとなったとし、他は、《精》の音kinと《蛋》の音tamより成る、とするものです。
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またレプチャ語の睾丸ta-lam tinがtin-lams, kin damaとなったとするレプチャ語説もあるのだそうです。
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あるいは、「精液をキミズといい、単にキともいうのでその『キの玉』の意であろうか」とする説もあります(方言俗語辞典)。
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「大言海」には、生(イキ)の玉の玉の上略音便ならむ、とあります。
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このように各々説がありますが、確定した説はないようです。
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中国の古書に見える「キンタマ」としては、があります。
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「汝が我がタマを去勢するなら、我は汝の首をもらうぜ」
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「醒世姻縁」(第八回)――台湾聨経出版事業公司による。
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「その郭さんとやらいう尼さんは、まさか"ふたなり"ではないででしょうな? 女ものの他に、もう一つ、男ものでも、ブラブラさせている、というのじゃありますまいな?」
「醒世姻縁伝」上海本、河南本ではの部分にはいずれも「」の字をあてています。となると、タマのほうかサオのほうかに分かれるところですが、ブラブラするのはどちらも同じ、ここでは、深追いはしないでおきましょう。
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「塗った先生の鼻は紫色に腫れ上がり、もう人間の鼻ではなかった。腰間にぶら下がったあの卵(タマ)そっくりであった」(「醒世姻縁伝」第六十二回)
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現在の中国語でキンタマは、俗語ではといっています。
香港にいる友人の洪良抜氏から教わった言葉にというのがあります。高級官吏の息子が風を切って闊歩していた時期が、中国に一時ありましたが、その(高級官吏の息子)がハバをきかせる中国社会を皮肉って、《睾丸之弟》(キンタマ野郎ぐらいの意か)さ、と云っていたのを思い出します。広東語の《睾丸》の発音が、ちょうど具合よく《高官》と同じらしい。中国人は語呂合わせが巧みです。
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いわゆる「洒落言葉」では、次のようなのもあります。
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「河を渡るとき、金玉を両手で捧(ささ)げるようにして持って渡る――用心し過ぎッ!」
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「キンタマをひと蹴りしたところで、珍棒(サオ)には影響はない、ね!」
これを見ても、"珍棒"、"サオ"殿と違って、女人の内(なか)、ボボには入れない"玉"どのは、やはり二儀的にされています。こりゃ、カワイソウ。しかし、しかしです。「キミこそ我が命」、タマこそは我が命、玉をしっかと握り、このタマを、揉み鍛えること、こそ、正しく"絶倫"への道なのだ、という結びにあい成るわけです。思わせぶりに前述しました、あの周延河さんの秘伝が、コレだったのです。今夜から、あなたも「握りキンタマ」を試しては如何に。
静かに、身体を横たえ、天井に目をやり、気持ちをタマに集中します。両手で二つの玉を柔らかに握り包むように、そして、グリグリと玉全体を揉むこと一百回。そうです、グリグリグリグリと、一百回まで、数えるのです。さあ、今夜から毎晩この「金玉体操」を行なっていただきましょう。
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秋風や わが朝魔羅のたよりなさ(尾崎士郎・人生劇場より)
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立つ瀬ない金玉二つに 団扇(うちわ)風(かぜ)(春太郎)
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どうも、あっちへ、こっちへ、と書き散らしてしまいましたが、これで筆を置かせていただきます。感想等なんなりと、ご意見をお寄せいただけると嬉しいです。お付合いありがとうございました。
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