仕女という言葉は、古代中国では「仕女」イコール「士女」で、「士・女」の意味で使われていました。つまり秦漢(紀元前200年ころ)以前は、「士」と「女」という二つの概念で、一方は男、もう一方は女を指していたものが、唐(618〜907)の時代あたりから、仕女は女子だけの意味に変わり、それも「貴族のご婦人」を称していうようになりました。そして宋(960〜1279)の時代あたりから、仕女という言葉は俄然普及し始め、徐々に絵画の一分野にその地位を築くようになり、「仕女」といえば、広い意味で「佳麗美人」を指すようになったようです。現在の中国では、「仕女」イコール「美人」という意味でとらえておりますので、ココでいう「仕女図」とは「美人図」「美人画」のことを指します。ただ《仕女会合図》といえば《秘戯図》、《春宮画》の意味になることも覚えておきましょう。ここでは瓷板画に描かれた美人画を除いて、現代の画家の手になる仕女図に注目いただきたい。
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