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日本の芸能界は、今や、まさに二世スターの花盛り。その中の一人、宍戸開(かい)さんという人気俳優がおります。好感度抜群の彼は、かつての日活アクションスター、宍戸錠、ご存じ、あのエースの錠さんの息子さんです。宍戸開という名が、芸名か本名かは、知りませんが、これは、一体誰がつけたのでしょうか。ま、当然、エースの錠さんがつけたのでしょう。だとすれば、宍戸の錠さんも、なかなか、すみにおけない、ユーモアの持ち主のように思います。「錠」を「開く」っていうのも、シャレにはなりますが、筆者が勝手に、感心したことが、あります。無論、すでに、お気づきのかたも、おられるでしょうし、とっくに、誰かが指摘されておられることでしょうが、"宍"といい"戸"といい、"開"といい、みな、これ「女陰」を意味しますので、宍戸という姓の次に、名も、これまた具合よろしく、よくぞ「開」の字をもってきた、と思うのです。宍は"肉"(シシ)、和名で、女陰の意ですし、戸は"戸立"など、女陰を意味する戸でしょうし、「開」はカイ、訓では"ボボ"と読ませて、これまた、女陰を意味する言葉ですから、よくぞ、ここまで、語呂よく並べた、と、いうことになります。宍戸開(ししどかい)、ジツに遊び心が、この名から感ぜられ、ハナハダ、具合がよろしい。失礼をかえりみずに云えば、ほんとうに、楽しく、愉快な名前に、思います。"中傷だ"と、誤解されては、いけませんので、錠さんも開さんも、共に、筆者は、密かなファンの一人ではあることを付け加えておきます。
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「ぼぼ」に漢字を当てると、「菩々」というのが一般的ですが、「開」、「也」とか「陰門」などの字も、このスジでは、おおかた、訓では「ぼぼ」と、読ませているようです。また、「ボボ」は、菩提のボ、と煩悩のボを重ねたもの(金曽木)とか、「ほほまる」の約言だ、という説があったりします。その「ほほまる」(女陰の古語)は、「頬張る」の意で、口にモノを含むこと、口にモノを夾むこと、「菩々」は、それから転じた陰名であるとも、云われたりしています。万葉には、「保布万留」とも「布保隠」とも云える云々(陰名考)と出ているらしい。また、「菩々」は、「ほと」(富登)が訛(なま)ってできた、ともいわれます。この「ほと」は、また「蕃登」とか「保土」とも書くようです。これは「陰」(ほと)、「火処」(ひなと)の意味である、と云われております。
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では、まず、文献に出てくるボボ、「開」(女陰)たちを覗くことから、始めましょう。
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○
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『陰名考』には、「開は、門構えに女
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、門構えに也の字
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と同字にて、
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女門という意味の文字だと云っている。……」(陰名語彙、中野栄三著)
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○
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(しなたりくぼ):考証には、は也の俗字。説文には、也は女陰の象形という。
訓は、ツビ。(柳亭記)
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○
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也(つび):玉門、和名は通鼻(ツビ)。(和漢三才図絵)
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○
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「江戸ぢゃ菩々(ぼぼ)、大阪おめこ、で、京おそそ、静岡で、おまんこ、に、アノおちょこ、名古屋が、おつんび、岡山で、おかいちょ、と申し奉る」(俗謡、諸国の陰名づくしの文句)
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植物の「通草(あけび)」が俗に「女陰」のことを指す言葉として知られていますが、この「あけび」は「あけつび」といった、と、南方熊楠は、指摘しています。「山姫」とか「山女」と書いて「あけび」と傍訓するのも、あるそうですが、「山男」と書いて「まつたけ」と傍訓するものはないようです。
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拙書「飯後百歩」(評論社)の中でも「女陰」を意味する言葉をいくつか書きましたが、なるべく重複を避けて、その後の調査のあとをたどります。
「おちょこ」(静岡)、「おべんちょ」(名古屋)、「おまんず」(青森)、「メメサン」(九州)、「ベチャ」(佐渡)。
静岡の方言「おちょこ」は「猪口(ちょこ)」、いわゆる「盃(さかずき)」で、底が小さく、上方が開いていて浅い器、から来た言葉。品等で云えば、下の部類に属するらしい。
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ちょっと古風なところで、
「逆さ冨士」、「逆さ舟」、「毛桃」、「毛饅頭」、「久保」、「赤通鼻」、「朱門」、「出身門」、「器」、「姫戸」、「火処」、「馬鹿貝」、「お箱」、「戸立(とだて)」(戸(と)建(だて)開(ぼぼ)ともいう。これは、まったくの穴無しということではないけれども、狭窄の女陰のことをいうらしい。川柳に「戸だてとは、さて用心のいい開也」とあります。)はたまた、今も身近にあったり、聞いたりする「幕の内」、「赤門」などにも、コノ意味があるとは驚きです。
ついでながら、「ねかし開(ぼぼ)」というのは、笑えます。これは、しばらく使われていなかったために、狭いナニとなってしまった女陰を指して云うらしいのです。
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伊勢、志摩あたりでは、
「チベ」、「ボボ」、「オタベ」、「チョンコ」、「コンポ」。
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鹿児島県の南の島々では、
「ツビ」、「チビ」、「チピ」、「ポッチ」、「アンゴ」、「フイ」。(「フイ」は奄美、沖縄系の言葉という)
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喜界島では、
「ガニー」、「マウー」、「マニュー」、「ブー」、「ビー」、「シー」(「性風土記」藤原貞雄著)などとなると、もう外国語並みです。
「ビー」なんかは、中国語の《(ビィー)》から来ているのでしょうね。
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「おちゃっぴい」というのもありました。
これは、普通一般的には、よくしゃべり、滑稽なマネをする娘、いわゆる「おませな小娘」などを指して云う言葉ですが、結局、これも女陰名らしい。中国の私娼に、(ピイ)の名があるといいます。「おちゃっぴい」の「ぴい」は《》、あの「おちゃひき」(はやらない芸妓)を掛け合わせたような言葉にもみえますが、実はそうではなく、『「おちゃっぴい」「お茶ッ」とは、"毛開"のことであり、年に似合わぬ早熟者の意味に云う言葉であって、けして他人がお世辞やお愛想に云う言葉ではない』
とは、陰名語彙(中野栄三著)にあります。
言葉のひとり歩きは、止めようがありません。
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では、中国での「女陰」はどう表現するのでしょうか。
標題に掲げた「」という、どうもなんとなく、いかがわしい字体の解説は、後まわしにすることにしまして、
まず、「回春秘話」(中野漢著)に出てくる漢語のソレを見てみましょう。
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ほか、
:これは、ほんらい「メス蟹」の意味ですが、「女に対する罵言」に使われます。女はもの、つまり男物を夾むというところから来ている言葉ですね。これも、ボボの範疇に入れてよいでしょう。ちなみに「オス蟹」はといいます。オスのカニの特徴で、腹部の甲羅がとがっているので、こういいます。メス蟹の腹部は丸い殻になっているので、蟹のオスメスの区別はココで見分けがつきます。
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:少し例を引きましょう。父のため、妾となった沈瓊枝が子宝を得んがため、活佛の処で、モーローたる中、"ナニ"される場面:(六十回)(但だ覚ゆ、炭火的ムッと吹きつける熱気、突き挿入され、至善の地に止まるを。)さすが儒林外史だけあって、女ものを「至善の地」と表現して笑わせています。かの地は男にとって、まさしく"至善の地"というべきでしょう。ちなみに、「至善」(至極の善)の出典は、(大学)にあります。
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(比丘(びく)、人の女と行婬し、三処を犯せば、波(ハ)羅(ラ)夷(イ)なり。大便処、小便処、口中……)「比丘」は、修行僧のこと。「波羅夷」というのは、四重禁(シジュウゴン)ともいいますが、戒律の中で最も罪の重いもので、淫戒、盗戒、殺人戒、大妄語戒の四つを指します。この罪を犯すと、僧団から追放されるらしい。ココに出てくる、は、女陰を指していることがわかります。
また、『四分律』(経の名)には、(人の婦の三処を犯せば、波(ハ)羅(ラ)夷(イ)、大便道、小便道及び口)とあり、こちらは、女陰を《小便道》としています。
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:河南や山東の俗諺の中に、この(隠しておくモノ、ないないしておくもの、つまり女陰のことです)があります。この《扁扁貨》という言葉は、注目してよいのではないか、と、思います。何故か? 話は、少し、それますが、その昔、第二次世界大戦後の日本では、駐留軍相手の女(街娼)を称して「パンパン」とか「黄色い便器」などといっていたようで、この「パンパン」という語は、この《扁扁貨》から来ているのではないか、と思うからです。つまり、発音の、《PIANPIAN》(ピィエンピィエン)から「ピァンピァン」の発音変じて「パンパン」になったのではないか……あるいは、これ、《扁扁》が語源かも知れない、とおもうのですが、どうでしょうか? 尤も「パンパン」なんっていっても、今の世代の人には、わからない言葉かも知れませんが、この「パンパン」の語源は、いまだ明らかにはされてはいないようですから、ここで、に由来するのではないか、という説を、独断的一説として、あげておきます。
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「女には、もとより女物があるので、どこへ行っても食うには、困らない」
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「腰下にナイナイしておくモノを隠し挟んでいるので、どこへ行っても食いっぱぐれはしないものだ」
いずれも「女と坊主に余り物がない」に相当する俚諺です。
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このほか、書物に見えるものとして、
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『醒世姻縁伝』には(第八十九回)、(第七十二回)さらに(あのしかるべき所以(ゆえん)のところ)(第四十五回)(あのしかるべき所以の品物)(第七十二回)とか(身についている宝モノ)などの表現も見えます。
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『古代中国の性生活』(R・H ファン・フーリック著 松平いを子訳)には「桃」「石榴」「芍薬」「蓮」なども、女陰をあらわすという記述が見えます。
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現在の中国語では、普通に使われるのは、やはり穏やかに、でしょうか。なんという可愛らしいものもあります。
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さて、なんとなくいかがわしい、といった字体のあの「」です。まずという字が使われるのは、ほとんど罵倒語に、です。この字は、女陰を意味しますが、罵り言葉に、よく出てきますので、その表現を幾つか見てみましょう。ただ、我らよそ者、外人は、使っちゃいけない禁句ですから、要注意の言葉です。
「こんちきしょうめ!」
これを直訳すると、「お前の母親のオ××コを抜いてしまう!」となり、ただごとではない罵り語ですが、字面ほどに、強烈な意味あいは、ないらしく、「このやろう!」とか「ばかやろうめ!」と、口汚く、毒づく言葉のようです。これと同じような罵り語に、こんなのもあります。
とか
は「性交する」(男性の立場から言う)の意ですが、「」という字同様、なんとも、あからさまな漢字もあったものです。
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「飯後百歩」(評論社)では、「女陰」を謳った黄山の詩を紹介(二四四頁)しましたが、ここでは、一休狂詩(一休作ではないと否定する人もあります)といわれるものを紹介しましょう。
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これも明らかに「女陰」を謳ったものとわかります。これは、
「もとより口あり更に言無し、
百億(あまた)毛中に丸い痕(あな)を擁す、
一切の衆生(人間)迷う処、
十方の諸仏も出身門(あそこ)より生まれ出ん」
一休さんは、女陰を「出身門」と表現しました。
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次のは、金瓶梅に出てくる潘金蓮のアソコの詩がありますので、筆者ともどもこの紙上にて、味わいましょう。
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「ふんわりと温かく引き締まり、香しく開いた口は蓮に賽(まさ)る。
能(よ)く柔く、能く軟く、最も憐れむに堪(た)える。
喜べば、すなわち舌を吐いて口を開けて笑う。
くたくたに疲れれば、身をまかせて眠る。
腰巻県中に店開き、
カワラケ土手辺これ故園(こきょう)。
もし風流の嫖客に遭えば、
無言のまま、たちまち戦闘す」
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この詩の前に、
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「西門慶、オ×コをまさぐると、和毛(にこげ)の無いのに気がついた」
と、あるように潘金蓮は、パイパンであったようです。
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次の例は「醒世姻縁伝」に見えるものです。
「三本足のガマ蛙は、珍しいけれど、二本足のスキもののオ××コを持った嬶(かかあ)は、五万といるものだ」
「じゃ、あんたのおふくろなんか、あの龍とかいうヤツの前でも後ろでも舐めてりゃいいんだ!」
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我が日本には、女性の外貌から、その見えはしない各々の性器を謳った俚諺、俗謡、狂句がケッコウあります。
例えば、
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「ちぢれ髪の女は、情が濃い」
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ちぢれ髪とは、性毛の俗称異名です。
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『春色忍ヶ岡』には、"世の人、髪のちぢみたるを見て、上開(ぼぼ)の相というは、甚だしき誤り也。通鼻毛のちぢみたることを上開と知るべし。(中略)但し、玉門の毛、大方はちぢむものなれども、唐獅子の毛の如くちりちりと縮みあがりたるは、上開ならでは、なき事なり。"
とあります。
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○
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「子壺深きは、多淫なり」
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子壺は、子宮の俗称です。
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「茶」も、なんと女陰の異名となります。句の表むきの意味は、茶の葉は、上茶ほど手揉みなどで細かく針のように、よく撚(よ)れていて色もよい、概して、番茶の類のものは、葉が縮れていない、という句です。
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○
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「女の頬の赤いものは、開が臭い」
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○
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「両ほおの赤いは、下女の匂う門」
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のように頬の赤い女は、臭開だ、というのですが、中国の後宮では《面的》といって宮女が帝の招きに応じられない経水時には、あらかじめ頬に紅粉を塗って、その印とした風俗が行なわれていたので、その故事から転じて、日本では頬赤の女は、臭開という俗諺が生まれたらしいのです。
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これなどは、日本の猿がすべて赤の面ゆえ、逆手にとって俗諺を笑いとばしている句です。
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上附(うわつき)は、上品開、ほか上開(じょうぼぼ)には「蛸(たこ)」「巾着(きんちゃく)」「印籠(いんろう)開(ぼぼ)」などという云いかたもあるようです。
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とはいうものの、是非、上開にはお会いしたいものです。
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○
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「ぢれっていこと下(した)反(ぞ)りに下(さが)り開(ぼぼ)」
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「下り開」は「下附(したつき)」に同じで、品等下の女陰とされたらしい。
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一方、中国産には、どんなのがありましょうか。
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「黒緊(きつ)し、白(ゆる)し、赤液(しる)多し」
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「口の大きいは、ボボが広い」
日本では、いわゆる「広(ひろ)通(つ)鼻(び)」「広開(ひろかい)」「ガマ口」の類。太陰のことですが、締りの悪いボボという意味にも使われているようです。
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「食い物にうるさい女は、淫乱である。」
(ほほう、コレは要注意です)
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「尻のでかいは、よく子を産む」
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「尻の大きいのは、男の子をよく産む」
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「チビの女は、まめに子を産むもの」
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「ちっちゃいメンドリは、卵をよく生み、チビの妻(おんな)は、男の子をよく産むもの。」
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「千斤もの巨漢は、恐くはないが、千斤もの天秤棒を担ぐのは願い下げ。」
女の言や恐ろし哉(や)!
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「水浸しになっても大丈夫なのは稲の苗、押さえつけられて押しつぶされないのは妻(おんな)」
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「ほらほら、子供は眠ったぜ!」(女性にベッドインを促す言葉)
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「船に乗るなら小舟にかぎる。オ××コするならあばた面の女(こ)にかぎる」
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「小さい時は母のオッパイがいい、大きくなってからは嬶のオ××コがいい」
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「小さい時は、母のオッパイが甘くてイイが、大きくなっては、女房のオ××コが心地よく楽しみなもの」
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「女房をもらわぬうちは母がよく、女房をもらうとベッドがイイ」
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「オッパイを飲むより、モミモミいちゃつくほうがよい」
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「恋するのは恐くはないが、やっちまうのは恐い」
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「乗っかるのは気持ちがイイが、降りた後は後悔するもの」
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「オ××コは額の骨のところにあるわけじゃなし、また手の指でもない。(合体するのはナカナカ簡単ではないことを云った句)」
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「老いは恐くないが、ナニさえ若く潤いがありゃイイ」
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マラ考の項でとりあげましたは、最近、面識を得た史成礼(中国性学会の重鎮)老師より教わった俚諺でした。しかし、これをよくよく見ているうちに、男の性欲のことではなく、これは女の性を謳ったものに見えて来ました。「六十は、後からジワジワと波が打ち寄せて来るようによがる、七十は、マダマダ、まだよがるもの」これは、どうも女人の方を謳った句のようです……《浪》の字がクセモノでした。中国の文字は、ナカナカ判りにくい。
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終りに、日本の俗謡を書いて、「ボボ考」は、終了することにします。
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娘十六七や為(な)仕(し)頃(ごろ)仕(し)頃(ごろ)
二十と二十三は為(な)仕(し)盛(ざか)り
三十女に(まら)見せな
四十女は茣蓙(ござ)破(やぶ)り 気を遣ることは限りなし
五十女は末の初開(はつぼぼ)
冥土の旅の土産(みやげ)開(ぼぼ) 仕てゆかしゃんせ してゆかしゃんせ
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(「茣蓙破り」は老人の起陽、勃起、つまり茣蓙目を延ばす、陰のシワ延ばしをいう形容です)
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