深沢俊太郎

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ごうりきみちのぶ著「まっくらけ」!


深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
ごおりきみちのぶ詩集


■坑夫口説き語り「まっくらけ」

〈渡り〉

  ゆしゃろ
  坑底の太鼓
  渡り坑夫
  坑夫のにぎあい
  郷土を棄てる
  春のずり山
  あかいずり山

ゆしゃろ

 輸車路。それはぼくの少年期からの生活に、深くかかわりあって、離れがたい想いが残っている。「あんちゃん、あぶねぇど」と、年老いた坑外夫のおやじさんに叱られながら、近寄り遊んだ、少年期の探検の場であった。


 坑内から揚ってくる炭車を、何十台も引いた坑外電車が走ってくる。選炭場手前の貯炭ビンの上で、炭車ごとひっくり返して、石炭を明けるチップラーのあるところが輸車路の終着だった。
 輸車路は、坑外の大事な幹線輸送路。屋根があって、わずかな上りと下りがあり、カーブがあり、長々と線路がつづいていた。ところどころに引込線があって、レンガ造りの捲揚桟械場や、循環桟場があった。そして、その周辺に繰込所と、安全灯場と坑口浴場と、その向うに馬小屋が建ち並んでいた。
 それから輸車路を挟んで、両側に資材倉庫と桟電工場と、鍛冶場と圧搾桟械場があり、それから電車修理工場と車輌工場があり、坑木置場と製材所が点々と在った。
 なかでも、ピン切りの操車夫がたむろしているピン切り小屋は、いつもストーヴがまっ赤に燃えていて、鉄びんの湯がチンチンとわいていた。


 残雪のまだある、陽炎のゆらゆらとたつ頃だった。ピン切りの親父さんと、輸車路を囲ったムシロに米粒をまいて、雀の寄ってくるのを待っていた。雀が米粒を喰いに寄ってくるのを見て、ぼくが合図すると、ムシロの裏側にいた親父さんが、板きれを振りあげてムシロをひっぱたいた。親父さんとぼくは、ピン切り小屋で雀の毛をむしって、焼いて喰べた。
「あんちゃん、また、雀とってやっからな。」
ゴーッと炭車を引いて走る電車の響きと震動のなかで、雀を喰べた記憶が、陽炎のように残っている。


 冬の日、輸車路を通って、鍛冶場にスケートを造ってもらいに行った。馬小屋の蹄鉄打ちを見る時も、輸車路を通り、倉庫番の爺さんの弁当運びの時も、輸車路を通った。
 夏の日、輸車路は涼しく、雨の日は、濡れずに歩け、冬の日は、雪をさけて歩けるあったかいところだった。


 復線のポイントに、ポイント返しの神様がいた。
 次々と流れてくる炭車を、ひと目で選び分け、右へ左へと流し出す操車作業だ。それを、神様の老ピン切り夫は、通りがかりの坑外夫と雑談しながら、炭車の連結ピンをさっと抜きとり、ポイントをひょいと返す。それを腕一本で、たくみにやってのける。時々、ピン切り鉤がキラリと光った。
 少年のぼくは、眼を丸くして、あきずに見とれて、なんとすごい腕前だろうと、老練なピン切りの神様を心から尊敬の念をもって、いつまでも眺めていたものだった。
 坑外に、こんなにすごい、神様がいるのだから、坑内には、もっとすごい神様が、いるのだろうと思った。
 だから、坑外の輸車路は、まだ見ぬ未知の坑内で働く坑夫の姿を、たっぷりと想像させるところだった。

坑底の太鼓
タケシよ 聞こえるか
暗黒の坑底からのひびきが
鬼神たちのシャレコウベを叩く音と
同じように聞こえてくるのを
双頭のドラムカッターが駆動し
炭壁をけずりくだいて移動を始めると
コンベァーは交通ラッシュのように
炭塊を呑みこみ押し流す採炭切羽で
もうもうと舞上る炭塵のなかで
汗の匂ひとのどの渇きを感じながら
ドラムカッターの爪の硬さを感じる時
ふと そのひびきに気づくはずだ

若いタケシよ たとえば
カッターの停止した時
レバーハンドルを握っていた
右手の軍手をぬいで
汗のしめりをぬぐう時
おまえの その熱い手のひらに
忍びこんでくるような
そのひびきに気づくはずだ

全身鋼鉄のレンジングカッターは
ただひたすらに炭壁に挑戦する男たちに
出炭グラフの上昇のリズムを伝えて
石炭見直しの採炭にさそいこむ

カッターの始動を待つタケシよ
しなやかな筋肉をもつおまえの肢体は
保安靴の底からひびいてくる
一直線にさそいこむようなリズムが
いつまでも震動しているだろう

タケシよ おまえは
あの陽気な頬に炭塵をこびりつかせ
豊かに張切った尻の肉を硬直させて
冷えた麦茶でのどをうるおすひまもなく
身ぐるみ鋼鉄の騒音に包まれて
炭塵と鉄さびと汗の匂ひの中で
坑底騒音の孤独に支配されている

いま 坑底からの無限のひびきを
坑底鬼神のシャレコウベを叩く音を
コンピューターで管理できるなら
やってみろ! と云ってやるがいいのだ

若いタケシよ
ふたたび 運転開始の信号がきたら
おまえの坑内帽子をぬいで
タムタムと叩けばよい

とても単調な
タムタムだけど
地底の脈搏を聞くように
地下水の流れがあふれるように
あの陽気な坑底鬼神たちが
シャレコウベを打ちあい
ひざを打ちあうタムタムが
採炭切羽のあちこちから
こだましてくるはずだ

渡り坑夫
新田の左衛門さんは
岩手は和賀郡の沢内村で
百姓として生まれながら
親ゆづりの米造りにはなれず
村の鷹の巣鉱山で坑内稼ぎ
以来 渡り坑夫をなりわいとして
北のしょっぱい海を渡った

ひょろりと背高のっぽで
天磐の矢木掛けなんぞ
足場なしでやっつけてしまう
まっすぐに背筋をのばして
地獄天磐を押さえこんでしまう
左衛門さんの稼ぎぶりは
支柱の神様と呼ばれるだけに
誰れもが後山になりたがった

よく働き
おだやかな顔付きで
いつも後山をさとした
その左衛門さんの特技が
はやめしとはやぐそだとは
誰もが信じられなかった
だけど それが坑内稼ぎの
第一の信條だと
言葉少なに言い切った

駆け落ちした恋女房との間に
丈夫な七人の娘に恵まれて
坑内休みの時は
長屋のまわりの
空き地を耕して
自給自足の畑作りに
いつも気を配っていた

空き地の畑を耕しながら
ある時 娘婿に云ったという
こうしておくと
いまに いい作物がとれる
けどな 坑内稼ぎだけは
なんも 返ってはこんぞ
いつも 掘っぱなしだからな、と。

七十七の祝いに
坑夫の左衛門さんは
八十八までは生きられんと
言葉少なに言い切ったという

渡り坑夫 左衛門さんの
最後の坑内稼ぎの坑口が
閉山で終ったとき
左衛門さんも
八十才の年を越しきれず
渡り坑夫の生涯を終えた

坑夫のにぎあい
むがしの炭坑もんは肩で歩いで
肩で酒を飲んだもんだ
女坑夫でも腰で歩いで
腰で酒ば飲んだもんだ と
炭坑のお爺じは嘆いた

いまの炭坑もんは
たんだ 話ば語って
ほやほや笑って飲むばりで
なんの面白味もねぇな
そったら酒飲みだら
すないほうがましだべ
炭坑もんが酒ば飲むだら
まっと 性根ばいれて
にぎあわさんとだめだ

坑夫のにぎあいは
ひとつばものに狂い狂うて
炭坑もんの根性ばつら抜くことで
だから 坑夫の酒飲みも
喧嘩もストライキも同じに
にぎあわさんとだめだべ

明治の世から
戦争を起こすたびに 坑夫ばかき集めて
びっこの片輪でも 肺病たかりでも
無理往生に坑内さぶちこんでは
坑夫の尻(けつ)ば追(ぼ)って
石炭掘りばさせて儲けるのが
むがしがらの炭鉱会社のやり方だべ

それが ひと度
不景気だと言やぁ
貯炭場の山さ
ペンペン草ばおがらかして
坑夫の首ば切り始める
オニの世話役だちは
棟割長屋さ板ぶちつけて
馬糞から麦のおがった路ばたさ
おんな子供に年寄りば
なさけ容赦なしに追い出す始末ば
なん度もくり返して来だのも
むがしからの炭鉱のやり方だべ

うんだから そん度に
坑夫だちは鳩首ば集めて
首切りばやめれ
賃金ば下げるなって
生命がけの争議ば一生懸命(はっちゃきこいて)
引き起こしてにぎあわしたんだ
時にゃ ブレーキのはずれた
騒動まで引き起こしちまって
血ば呼んで
滅茶苦茶(わちゃくちゃ)にされたこともあったわ

坑夫の御神酒はな
なんちゅうても
にぎあいを肴に
坑夫の血で燗ばつけて飲むのが
一等にうまいだ

酒ば飲んで理屈かだるにも
談判(ちゃらんけ)のつけかだ からみかだ
ごねかたが上等でねば
一人前の坑夫と言われねがった
屁のつっぱりにもならん屁理屈だら
理屈ばこくもんでねえ
最下等(げれっぱ)の悪太郎(けちゃむくれ)だばだめだ

むがしの炭坑もんは
女坑夫でも
ないギンダマが上り下りするような
にぎあいばやらかして
男衆にも負けんもんが
なんぼでもおったもんだわ

郷土を棄てる
もう、はあ、米沢の
田植えすんだべなあ

突然の田植えばなしで
孫たちを驚かせた
爺さんの一生は
坑夫だった

東北 岩手の片隅の
秋田との県境いに近い
和賀郡沢内村米沢郷は
爺さんのふるさと
十二才の時から
村はづれの鉱山で日銭を稼ぎ
十五才の時から
渡り坑夫となって
郷土を棄てたという
郷土 米沢には
天保の奥羽飢饉からの
〈餓死供養〉の弔い塚が
いくつも野辺にあったという
百姓の子に生まれて
百姓になれなかった
塩っぱい海を渡り
北の炭坑を渡り歩いて
郷土を棄ててしまった

いつか住みついた
北の郷土の炭坑は
戦争景気でふくれ上って
人買い周旋人がにわか坑夫を送りこみ
ヨロケと落磐とガス爆発が
坑夫の骨噛み葬儀と
逃亡と坑夫狩りがまつわりついて
炭坑のオキテが
坑夫の日常をとりしきる
それでも 坑内稼ぎで
その日が食えた
ずり山の下にひしめく
棟割長屋の屋根の下では
坑夫だけのはらからの
熱いまじわりあいがあったから
〈餓死供養〉の恨み塚は
建てずにすんだという

戦争と戦争で
日の丸かざす欲たかりどもが
隣りの大陸に足をつっこみ
大東亜建設をあおった頃
爺さんの息子は
北の炭坑を棄てて
黄塵の舞う大陸の炭田に
夢かけて二つの海を渡り
北の郷土を棄てた

日の丸かざした
侵略ゆきづまる頃
異国の戦場へと
駆りたてられる出征坑夫らと
すれ違いに
爺さんの息子は
異国で骨となり
棄てた北の郷土 炭坑に
郷土を奪い取られ追い出された
大陸の人々と共に帰山した

原爆を落されて
メガネと猫背の生神人が
〈人間宣言〉をしたら
炭坑の支配者たちは腑抜けになった
坑夫長屋に赤旗がひるがえり
坑夫は坑夫の権利を要求して
腕組んでデモ行進をした
爺さんの孫たちも
坑夫になって赤旗かつぎ
朝鮮戦争でよみがえった
炭坑会社にストライキをかけて
一人前の坑夫になった

北の炭鉱わずか八十余年
それなのに
へっぴり腰のおよび腰で
エネルギー革命だの
石炭のコスト高だのと
カタカナの文字なんぞ使って
石炭の代りに
石油を使う奴が増えたからだの
炭鉱はもうダメだだの
なだれ閉山だのと
北の炭鉱に
見切りをつけようかと
坑夫たちは頭をかかえる

百姓の子に生まれて
百姓になれず
郷土を棄てた
爺さんの孫たちは
父親と同じように
北の炭鉱を棄てるべきかと
ひたい寄せて考える
だが 孫たちよ
爺さんと父親のように
生まれた郷土を棄てて
どこへ渡り歩くのだ
ろくなことのない
北の炭鉱の郷土だけど
列島改造で掘じくり返した
油と排気ガスのたちこめる
プラスチックのように
ペカペカした
見知らぬ土地に向って
北の郷土を棄てて
どこへ渡り歩くというのだ

春のずり山
春の夜の半月に
ずり山がぬれて
しろがねいろに光ると
炭掘り怨霊の住む
シンコの沢のザリ蟹は
はさみをふりあげ
くろい泡をふく

炭塵だらけの痰つぼに
古く伝わる炭坑の恨み節も
見直しやら開発やらの掛け声も
いっさいがっさいを詰めこんだ
小便くさい紅はこべの棟割長屋の
娘っ子の髪油の香ばしい春も
ずり山の半月にぬれて
遠い昔の夜ばなしになってしまった

炭坑もんの男と女たちが
どんなにこころ優しい
にぎあい好きの坑夫だったことか
あの頃の
春のずり山の
しろがねの月の夜は
どこかへ行ってしまった

あかいずり山
月はしろがねいろに濡れて
人工のあかい死火山は
火山礫のあかずりを夜に沈澱して
閉山ヤマの喪主となった
いま漂々と鳴るずり山外輪からは
えぐりとられた頂上は見えない

 あかいずり山は
 重い雨に
 濡れている

黒い燃え石を掘りつくした炭鉱は
あかいずり山をけずり砕いて
焼きずり砕石を転売する
遠い昔 煙をあげて燃えたずり山は
坑内稼ぎに明けくれた男と女たちの
暗闇の恐れを積みあげた
はらからの熱いまじわり合いに燃えて
疲れをふきとばした坑夫たちの洪笑
ガス爆発と落磐の
坑内への嘆きと怒りに燃えた

 あかいずり山は
 重い雨に
 濡れている

噴煙に似た夜の霧にかすみ
連らなりつづくずり山外輪
あのてっぺんに絶頂があった
火を噴いたずり山火口はそのむこう
巨大な噴火口に似たえぐり跡は
来訪者たちの愕きの声をのむ
いま 濡れたずり山は漂々と鳴り
遠い昔日への回帰を拒絶している


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