深沢俊太郎

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深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.34 2006年7月10日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.34
「経営者(トップ)に要求されるのは、なんといっても、資金調達ができるかどうかだ」とは、知友・Yさんの言葉です。金を追いかけ、金に追いかけられるのが経営者、商人(ビジネスマン)の宿命、とすれば、なんと気の休まらぬ、気苦労の多い役回りでしょう。しかし、金を手にし、己の采配で、自在に金を使えるのも、経営を担う者の役得であることに変わりはなく、気分的には、少しの休みもないかわり、時間に拘束されないのも、経営者であることに違いはないわけで、経営者冥利、商人冥利とは、やはり、金と時を、意のままに、操ることができる、ということに尽きるのではないか、と、思います。
 ○ろの稿でとりあげました「世の中の人の飯は、世の中の人が食う」(商売というのは、人がやるのを、誰もが、邪魔だてできやしないものだ)という句は、正(まさ)しく中国人の根本的な経営観念を表しているのではないか、ということを書きましたが、ここでは、更に加えて、
《君(ジュン) 子(ヅ) ?(アイ) ?(ツァイ),取(チュィ) 之(ヂィ) 有(ヨウ) 道(ダオ)》
「君子は金を好む、それを得るにそれなりの道(ルート)があるものだ」
という句を記しておきます。
 金を好むのは、君子に限らず、大人、小人に限らず、富める者も、貧しい者も、程度の差こそあれ、誰しも、同じに違いない、のでしょうが、ここの、「それなりの道」とは、何なのでしょう? 「それなりのルート」とか、なんとか、云われても、どうも実態、内情、が、よくつかめない。そんな中国的なボカした表現が、気にかかります。人さまのふところ具合を推し測っても、当たるはずもないのですが、現に中国では、たいした給料を取っていないであろう、と、思われる若い公安局交通整理の巡査が、三階建ての一軒家に住んでいたりするのを実際、目にすると、やはり、それなりのルートがあるのだろうなぁ、と、思うのは、ヤッカミでしょう、か? まぁ、我ら"外人さん"には、どうしても入っていけない処が、中国には、どうも、あるようで、こりゃ、なんとも、もどかしいところなのです。が、しかし、正面きって、
《君(ジュン) 子(ヅ) 不(ブ) ?(ヅワン) 昧(メイ) 心(シン) ?(チィエン)》
「君子は、不義の財は稼がぬものだ。」
《?(ニん) 可(クー) 正(ジォん) 而(アー) 不(ブ) 足(ズゥ),不(ブ) 可(クー) 邪(シィエ) 而(アー) 有(ヨウ) 余(ユィ)》
「汚い手段で得て余裕あるよりは、まともに得て足りないほうがいい。」
など「手にする金は、不浄の銭であってはならない」と、聖人君子の言葉を付け加えるのを忘れないあたり、中国人は、なかなかシタタカなのです。濡れ手で粟の商売もある、という中国ですから、ドロドロとした内情中身は、われら《老外(ラオワイ)》(よそ者)には、とうてい分かるすべもありません。
《蛇(シェ) ?(ズワン) 的(デ) 去(チュイ) 窟(クゥ) 窿(ロん) 蛇(シェ) 知(ヂイ) 道(ダオ)》(「醒世姻縁伝」第六十七回)
「蛇の道はヘビ。」
は、どこも同じなのでしょう、ね。
「十億の民、総商売人」などと、台湾人が大陸の中国人をからかった表現があるので、それも紹介しておきましょう。これは、ナカナカ、興味深い句に思うので、○との「所変われば人変わる」の項に入れてよい句かもしれません。
《十(シイ) ?(イィ) 人(レン) 民(ミン) 九(ジィウ) ?(イィ) 商(シァん),?(ハイ) 有(ヨウ) 一(イィ) ?(イィ) 待(ダイ) ?(カイ) ?(ヅァん)》
「十億の人民、九億は商売をし、あとの一億人は商売を始めようと待機している。」

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