深沢俊太郎

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Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.30 2006年5月10日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.30
 古い俚諺ですが、
《做(ズオ) 官(グワン) 要(ヤオ) 做(ズオ) 道(ダオ),做(ズオ) 商(シァん) 要(ヤオ) 坐(ズオ) 号(ハオ)》
「役人にならんとするなら、実入りのいい"道台"という地位にならねばならぬ、商売をしようとするなら、現地に看板を掲げ、腰を据えて、仕入れする人にならねばならぬ」
というのがあります。《坐(ズオ) 号(ハオ)》は《坐(ズオ) 庄(ヅワん)》とも表現します。現在では、さしずめ、生産地に駐在して、仕入れを担当する"商社員"を指すことになりましょうか。
 中国との商いは、事情の許すかぎり、やはり、マメに、検品に出かけるコトですが、更にイイのは、現地にしっかり腰を落着けて、生産現場に眼を光らせていることです。これを怠ると、蒔いた種も、どこかに流れていってしまったり、軌道に乗って、ようやく実ったモノも、全く入って来なくなったり、入って来ても、不良品が混じっていて、その分別作業に手間ばかりかかる、ということになりかねません。少し注意を怠ると、せっかくの仕事も、人様に横取りされることになりますので、商いは、気は、抜けません。
《道》という官吏名が出てきましたので、清朝における地方官について、解説しておきます。地方の最高長官は、《?(ゾォん) 督(ドゥ)》と《巡(シゥン) ?(フー)》です。これの補佐官に《布(ブゥ) 政(ジォん) 使(シィ)》と《按(アン) 察(チァ) 使(シィ)》がおり、この二使の下に《道(ダオ) 台(タイ)》がいます。上述の俚諺の中に出てくる《道》は、つまり、この《道 台》の地位を指しています。
 この《道 台》には《兵(ビん) ?(ベイ) 道(ダオ)》、《分(フェン) 巡(シゥン) 道(ダオ)》、《河(ホー) 工(ゴん) 道(ダオ)》、《粮(リィャん) ?(チュ) 道(ダオ)》、《?(イェン) 法(ファ) 道(ダオ)》、《海(ハイ) ?(グワン) 道(ダオ)》、《巡(シゥン) 警(ジん) 道(ダオ)》、《?(チュエン) ?(イエ) 道(ダオ)》等などがあります。そして、こうした《道》の下に《府》があって、その下に州、県、庁が順にあります。
 ここでは《道》という地位が、地方官では、かなりの"高官"である、というコトだけをお分かりいただければ、よい、と思います。こうした《道》の役人は、もともと実入りも多く、きわめて金回りのよい役職であったことから、賄賂を取るのに齷齪していた州、県などの地方官に比べて、清廉高潔であった、と、云われる所以(ゆえん)です。
 この、いにしえの俚諺《做(ズオ) 官(グワン) 要(ヤオ) 做(ズオ) 道(ダオ),做(ズオ) 商(シァん) 要(ヤオ) 坐(ズオ) 号(ハオ)》は、上の句で、役人になるなら、この《道》の地位までにならなくては、実入りが少なくて、ダメだ、と謳い、下の句では、商いを営む「商社員」を《道 台》と同じ位置にもってきて、商いをやるなら、利益の多い生産現場へ行って、看板を掲げて、仕入れせよ、と、商売の基本を、語呂よく謳っているのです。
 しかし、一口に現地に腰を落着けてやればいい、とは、云っても、無論、それにこしたことはありません。こしたことはありませんが、この道理は、分かってはいても、なかなかどうして、これが、難しい。現実的に、現地に、融け込める人間、とけこめそうな社員というのは、そうざらには、いるものではないからです。結局、派遣人材の選択に、頭を痛めることになります。
 そこで、筆者が思う、人選の目安として、まず挙げておきたいのは、現地の中国料理に親しむことのできる人、それと、現地の言語にすんなりと臆面もなく入っていける人、が、向いている、と思います。中国との商いは、やはり、「食事」がだいじ、そして「会話」だ、と、思うからです。タクワンや梅干に頼っていたのでは、現地にとけこめません。
月並みな俚諺を二つ三つ:
《随(スイ) ?(シィャん) 入(ルゥ) 俗(スゥ),?(ジィェン) 机(ジィ) 而(アー) 作(ズオ)》
「郷に入っては、郷に従え。機を見てすばやく行動せよ」

《入(ルゥ) 国(グゥオ) ?(ウェン) 禁(ジン),入(ルゥ) ?(シィャん) ?(ウェン) 俗(スゥ)》
「国に入っては、まずその国での禁を問え、郷に入っては、その郷での風習を問え」

《春(チュン) 不(ブ) ?(ヅォん),秋(チィウ) 不(ブ) 收(ショウ)》
「蒔かぬ種は生えぬ」

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