古い俚諺ですが、
「役人にならんとするなら、実入りのいい"道台"という地位にならねばならぬ、商売をしようとするなら、現地に看板を掲げ、腰を据えて、仕入れする人にならねばならぬ」
というのがあります。とも表現します。現在では、さしずめ、生産地に駐在して、仕入れを担当する"商社員"を指すことになりましょうか。
中国との商いは、事情の許すかぎり、やはり、マメに、検品に出かけるコトですが、更にイイのは、現地にしっかり腰を落着けて、生産現場に眼を光らせていることです。これを怠ると、蒔いた種も、どこかに流れていってしまったり、軌道に乗って、ようやく実ったモノも、全く入って来なくなったり、入って来ても、不良品が混じっていて、その分別作業に手間ばかりかかる、ということになりかねません。少し注意を怠ると、せっかくの仕事も、人様に横取りされることになりますので、商いは、気は、抜けません。
という官吏名が出てきましたので、清朝における地方官について、解説しておきます。地方の最高長官は、です。これの補佐官にがおり、この二使の下にがいます。上述の俚諺の中に出てくるは、つまり、この《道 台》の地位を指しています。
このには等などがあります。そして、こうしたの下にがあって、その下に州、県、庁が順にあります。
ここではという地位が、地方官では、かなりの"高官"である、というコトだけをお分かりいただければ、よい、と思います。こうしたの役人は、もともと実入りも多く、きわめて金回りのよい役職であったことから、賄賂を取るのに齷齪していた州、県などの地方官に比べて、清廉高潔であった、と、云われる所以(ゆえん)です。
この、いにしえの俚諺は、上の句で、役人になるなら、このの地位までにならなくては、実入りが少なくて、ダメだ、と謳い、下の句では、商いを営む「商社員」をと同じ位置にもってきて、商いをやるなら、利益の多い生産現場へ行って、看板を掲げて、仕入れせよ、と、商売の基本を、語呂よく謳っているのです。
しかし、一口に現地に腰を落着けてやればいい、とは、云っても、無論、それにこしたことはありません。こしたことはありませんが、この道理は、分かってはいても、なかなかどうして、これが、難しい。現実的に、現地に、融け込める人間、とけこめそうな社員というのは、そうざらには、いるものではないからです。結局、派遣人材の選択に、頭を痛めることになります。
そこで、筆者が思う、人選の目安として、まず挙げておきたいのは、現地の中国料理に親しむことのできる人、それと、現地の言語にすんなりと臆面もなく入っていける人、が、向いている、と思います。中国との商いは、やはり、「食事」がだいじ、そして「会話」だ、と、思うからです。タクワンや梅干に頼っていたのでは、現地にとけこめません。
月並みな俚諺を二つ三つ:
「郷に入っては、郷に従え。機を見てすばやく行動せよ」
「国に入っては、まずその国での禁を問え、郷に入っては、その郷での風習を問え」
「蒔かぬ種は生えぬ」
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