深沢俊太郎

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深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.26 2006年3月10日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.26
 約束通りの品物が入って来れば、何の文句もないのですが、そうは問屋が卸さないのが中国貿易、なんやかや、ひと悶着が、かならず、起こります。筆者は、知友・Yさん専属の通訳をさせてもらったお蔭で、中国のあちこち、広い地域に渉って、商取引なるものを存分に体験、観察することが出来ました。ここでは、一番ひどい目にあったという印象のある河南省地区でのコトを書きます。品物を発注して、出来たというので、検品に出向くのですが、現場で、ウカウカ目を離すと、Yさんが一生懸命検品して、はねたものまで、入れ混ぜて出荷して来る、などは日常茶飯事、まったく油断なりませんでした。船積みされて来た品物に、強くクレームをつけると、次の契約で、カバーする、次回の船積みする金額から差し引き、清算する、と云ってくる方は、まだ良心的ですが、まったく梨の礫のところもありました。乗り込んでいって、ペナルティ金額まで取り決め、双方合意書にサインしたにもかかわらず、支払わずに、知らぬ顔の半兵衛をきめこんだ厚顔なのもいました。そんなイイカゲンな相手や工場とは、スッパリ打ち切らねばならないところですが、生産にこぎつけるまで、人的にも金銭的にも、さんざんっぱら、つぎ込んできて、さて、ようやく品物らしきものが、出荷できるまでに、こぎつけた矢先などは、Yさんも、そうやすやすと、切り捨てゴメン、を決めることはできないジレンマがあったようです。結局、Yさんの部下を工場にはりつかせ、中断、続行、続行、中断、ということの繰り返しがしばらくは、続いたようですが、今は、もう切れた、と聞きます。
 それにしても、中国側の工場は、もっとしっかりしてほしい。
「残り物」になるような品物を生産しないようにするには、どうすべきか、歩留まり率を上げるには、どうすべきか、の工夫が、ほしい。
「残り物に福はない」ということが、まったく判っていないようです。
「のこりかす」のことを中国語では、《残(ツァン) 羹(ゲん) 剩(シォん) ?(ファン)》と、表現します。つまり、字面どうり「食べ残しのもの」を意味します。"残飯"はどうしているか? そう、結局、棄てているのです!

《吃(チイ) 不(ブ) 了(リィャオ),兜(ドウ) 着(ヅェ) 走(ゾウ)》
「食べきれずに、包んで持って帰る」
《吃(チィ) 不(ブ) 了(リィャオ) 他(タァ) 的(デ),只(ヂィ) 好(ハオ) 兜(ドウ) 着(ヅェ)》(『醒世姻縁伝』第三十二回)
「食い残しは、包んで持って帰るよりほかにない」
最終的に、責任は、自分で負わなくちゃいけない、ということになるのに、判っちゃいないわけです。
 契約した品物が、食物なら、まだ家畜の餌に、使えもしましょうが、Yさん専門の材木では、どうしようもありません。検品で、はねられた木材の加工品や半加工品を、まだ使う人がいるのか? 野ざらしに積み上げられ、真っ黒に変色した材は一体どうなるのか! いつまでたっても、改善されて行かない工場と、こうした"廃品"を、横目に見て、Yさんは、「深沢さん、気が滅入る、ってのは、このコトだね!」と、つぶやいていたYさんの当時のことが、昨日のことのように思い出されます。
『駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、捨てた草鞋を拾う人』ひとサマザマ、お国柄サマザマ、と思いもしますが、いかに"中国式採算方法"があろうとも、やはり、向上心のない工場は、いつまでたっても、一流にはなれない、ということは云えるのではないか、と思います。

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