恩師の朱介凡老師は、中国人の言語生活の中で重要と思われる規律として、次の二点をあげています。
その一つは、ことに、人に対する評価を含めた会話においては、あからさまにではなく、幾らか留保して、ものを云うこと。
もう一つは、仕事上の話では、万一、できなかったことを考えて、遠慮した数字だけに留めること、目いっぱい云うのは、よろしくない。
というものです。
このことは、中国人と商談する上で、心得ておくとよいと思います。見通しも定かでない数字は、大きくは、云わないことが肝要です。つまり『ラッパを吹いてはならぬ』なのです。ただ、その時点で、確実な数字があれば、駆け引きすることなく、はっきり云うほうが、信頼されましょう。
また、最前線で営業活動をする人は、自分の裁量裁断で決めることのできる数字を持った上で、商談に臨むことが、たいせつです。中国人は、いつもあなたが決めることのできる"人"かどうか、見ているからです。
恩師の云われるこの規律には、うなずけるものがあります。というのも、私がかつて接した商売上での付き合いのある中国人は、おおかた、どんなコトにでも:
『問題ない、問題ない』
『できる、できる』
を連発しておりました。仕事上のことで、彼らのひかえめな数字は、まず聞いたことがありません。ひたすら、鼻息だけは、ハナハダ、荒い、のですが、実際に蓋を開けてみると大違い! 随分と泣かされたものでした。孫文が同胞に「路上に痰やつばを吐いてはいけない」と訓戒したように、わが老師のあげたこの規律も、中国人同胞へ向けての手厳しい叱責言葉なのかも知れません。
「話はひっこみの余地を残すこと」
「盛り過ぎの碗飯を食ったとしても、度を過ごした話は言うものではない」
我ら同胞も心すべきコトではあります。
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