深沢俊太郎

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Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.17 2005年10月24日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.17
 「日本に来たときにゃ、さんざっぱら世話してやったのに、帰国してしまったら、礼状ひとつ、よこすでもなし、何の音沙汰もねえや! まったく中国人ってのは、世話のしがいのない、ひでえヤローだ!」という話をときどき耳にします。なるほど、そういえば、思い当たるふしが、ないでもありません。しかし、異郷の地で、世話のできる人が、人の世話をする、というのは、その土地の者の当たり前の行為、として身につけている中国人にとっては、礼状など考えないのでしょう。中国人は、「異郷の地での世話」を、ごく普通のこと、として、受けとめている人種、と、知っておくのもいいと思います。いい例が、逆に、あなたが、中国へ知人の中国人を訪ねて行ったとします。その中国人の接待ぶり、世話ぶりは、とうてい我々日本人には、真似の出来ないほどのものになることを思い知らされるコトになるでしょうから。人の世話をして、礼をアテにするなら、初めからしないこと。しかし、これは、難しいことでもあります。ただ、こと中国人に対しては、そう思ったほうが、よいような気がするわけです。
まぁ、そうはいっても、日本人は、日本人。ですから、あなた自身の流儀で、やりやイイ。筆マメな人なら、標題の我が諺にもある通り、礼を受けたなら、返礼もしくは礼状は、できるかぎり、早くしたほうが、よいでしょう。一言電話でだってイイ。

いつだったか、筆者は、日本風で、可愛らしい市販の絵葉書を出したのですが、ずっと後に、その相手を再訪したとき、相手の机の上には、私の出したその絵葉書が飾られてありました。そのときの嬉しさは、また格別、感慨深いものでした。しかし、礼というやつは、あくまでも『従』でなくちゃ、って思います。
《人(レン) 是(シィ) ?(ウェイ) 的(デ),礼(リ) 是(シィ) 随(スイ) 的(デ)》
「人は、努力して常に高い目標を目指すもの、礼物は、あくまでも従のもの」
《礼(リ) 物(ウゥ) 是(シィ) ?(ジィェン) 面(ミィェン) 笑(シィャオ)》
「ミヤゲは、笑顔を見せに行くこと」
チョッときれいゴトを並べてしまったかしら……ね?!

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