連れ合いに先立たれた老人、離婚した老人、もちろん未婚の老人を含めた老人の恋愛、少しく揶揄的な日本語の表現を使うと「老いらくの恋」、中国語ではこれを、(たそがれの恋)と美しくいいます。これは数年前、流行語にもなりましたが、当時も今も、この年老いてからの恋や結婚は、さまざまな問題を投げかけているといいます。
男性の再婚は、セックスを含め、実際的に身のまわりの世話をしてくれる女性を求める。一方、女性の再婚は、金銭がらみの現実的な生活保障を持ちたい、というのと同時に、ともに語り合いのできる男性を求める、という、ロマンチックな面もある、といいます。しかし、こうした再婚は、知り合ってから、結婚に到るまでの間が比較的短い、ということもあるせいか、往々にして、結婚後、お互いの気持のズレが生じて、また、すぐ離婚する、というケースも、ままあることも、問題の一つとして、あげられています。
しかし、なんといっても、最大のネックは、双方の子供たちにある、というのです。子供たちが自分の父や母が、万一、再婚すれば、世間体が悪い、恰好がつかない、その再婚によって、自分達の相続権がなくなってしまうのでは、といった財産、資産のこと等など、肝心の父母当人の気持より先に、体裁、体面、金銭への欲得から、反対する態度をとるので、かりに、老人らが、こうした反対を押し切って、再婚に踏み切ったとしても、再婚後の双方の子供たちとの関係が、ギクシャクする、という大きな問題が残る、というのです。
高齢化社会に入った日本とて、同様の問題が、実際に起こりうる、いや、もうすでに起きている問題だけに、老人の再婚、老人のセックスライフ、さらに、老人の屎尿問題などをも含めて、もっともっと、公に議論されていいと思うし、注目して行きたい、って思います。
老人の恋は是非もない、というより筆者は、むしろ、是非、恋をしてほしい、と思う側のひとりです。
古い俚諺にこんなのがあります。
「六十の結婚――年は寄れども心は寄らぬ」
もっとも、昔の六十と今の六十では、比べようもありませんが……心の落ち着きようという視点から見れば、今の方が、はなはだ心もとない気がしないでもありません。
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