筆者のそんなに多くはない付き合いの中でも、大、中小の会社にかかわらず、社長と名のつく方や、それなりに、決定権を持つビジネスマンと、中国の各地へ旅を供にする機会は、けっこう、ありました。こうした人だけを、今、振り返って、ひとり一人思い浮かべてみると、どこかに共通点のあることに、気がつきました。「それは何か?」それは『倔強』と表現したらイイのか。どこか、人に迎合しない強情さ、悪い言葉でいうなら、偏屈さ、ごときもの、が、あったような、気がします。中国の人は、このような人を評して、「個性の強い人」と、さらりと表現します。褒め言葉では、ありませんが、社交術に長けた中国人らしい、いいかたではあります。
北京の俚諺に、
というのがあります。この中のが、正(まさ)しく「倔強」、「迎合しない」の意味で、この俚諺の全体の意味としては、「商人には、三分の倔強さがあるものだ」となります。人の上に立ち、人を引っ張っていくには、主人たるもの、上司たるもの、強くなければいけないし、頼りにならなくてはいけません。決して(お人好し)であってはいけません。
あなたのボスはどうでしょう? そして、あなた自身は、どうでしょうか? 外交術に長けた中国人と、対等に、わたり合うには、遠慮は禁物、ズバズバものを云えなくては、いけません。語学は、出来るにこしたことはありませんが、二の次、と考え、必要に応じて、できる通訳を雇い、要は、気概をもって、当たることが肝心、と思います。
(「兒女英雄伝」二十五回)
「理の上で負けても、口では負けぬ、口で負けても、気で負けぬ」
どうも、中国の人は、誰しも、こんな依怙地さというのか、負けん気というのか、そのような気質を持っているように思えて、なりません。ですから、それだけに、時に、剛毅(ごうき)も、必要、と思うわけです。
(江西)
「金を掏(す)っても、弱気にならない」
商いは、やはり、強気、なのでしょうか。
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