中国の相手先に、「契約した品物は揃ったかどうか?」という打診をファックスや電話でして、「揃った、出来た」というので、実際に行ってみると、要求通りの数ができていなかったり、甚だしいのは、まったく出来ていなかったり、すでに転売した後だったりしたことが、かつては随分とありました。重い腰の顧客を連れ出したときなどは、まるで面目を失い、忸怩たる思いをしたことがあったものでした。こんなときは、言葉遊びのような響きのある句(骨折り損のくたびれもうけ)と自嘲的につぶやいていたことを思い出します。いまだに、筋書き通りにいかないことが多くある、と聞かされる中国ビジネスですが、相も変わらず、中国! 中国! と誰もが云い、中国に活路を求め、出かけて行く企業家や、現地に腰をおろし、商社活動を続けているビジネスマンは、跡を絶ちません。それほどに、中国を期待できる市場と、みているのでしょうか。はたまた、出て行かざるを得ない、のっぴきならぬ"事情"があるからなのでしょうか。
標題の「粒粒辛苦」というのは、「粟一粒に汗一粒」という俗諺にあたります。穀物の一粒一粒が辛苦の結晶で、それを作る農民の苦労が並大抵ではないことを喩えております。つまり、この「粒粒辛苦」は、仕事や、ものごとを成し遂げるために、地道に、コツコツと努力を続けることを意味します。中国との商いは、正しくこれを実践せねばなりますまい。信頼できる相手、いや、そんな相手は、初めからいないでしょうから、まず、自分自身が信頼できそう、と思う相手を見つけ、もろともに育(はぐく)み、ともに事業展開をして行こう、という気概を持ってあたらねばなりません。そのためには、やはり、何度も、何度も足を運び、相手と逢うことことが必要となります。(日本ででも同じコトでしょうが)
「一回目はよく分からないが、二回目は識(し)ることができるものだし、三回四回目となると馴染みとなるものだ」
(「醒世姻縁伝」第四十二回)
「初めは素人、二度目には慣れ、三度目には手心も分かり、四度目はもういっぱしの玄人となるものだ」
「利に耽るは商人の失」と我が俗諺にありますが、利ばかりに耽っていては、脚元をすくわれる時がやがて来る、という至言です。
「小利に欲を出しては、大きく元手を擦(す)る」
「商売金は三十年、努力苦労して得る金は万万年」
しかし、コトワザどおりに行かないのが現実です。
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