深沢俊太郎

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Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.2 2005年3月10日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.2
 「壟断」という言葉があります。「独り占めにする」ことを意味します。現在の中国語でも、「市場を独占する」「市場を独占する」などと使ったりしますが、出典は、「壟断を私するものあり」、「壟断を求めてこれに登り」からで、孟子の公孫丑篇下に見えます。《壟》は、「丘」のことで、《壟断》は、「きりたった小高い丘」のことを指しますが、このような小高い場所に上って市場の動きを眺め、機を狙っては売りさばき、儲けを独り占めにしょうとすることを「壟断を私する」といいます。地位(こだかきところ)を求めて上(のぼ)り、その地位に恋々として、右に左に利をむさぼった男がいたという話の中に出て来る言葉です。
 一つの仕事を独占的にやるというのは、商人なら誰しも望むことに違いありません。しかしどんなに市場を牛耳りたくとも、そう簡単にはできるものではありません。中国の商いで独占的にことを運ぶことの難しさは、
「世の中の人の飯は、世の中の人が喰らう」(浙江)
という経済の根本思想が、中国人の中に深く根づいているためからきているのではないかと思います。この俗諺は、「世の中の人の飯は、世の中の人が喰らう」つまり「商売は人がするのを誰も邪魔だてはできやしないものだ」ということを意味しています。これこそ"中国流"自由競争のモトといえそうです。ですから、中国人に対して、ひところよく聞いたボヤキ――『ウカウカしているとすぐ他のところへ横流しをする』という謂いや『節操なしのロクデナシメが!』などと中国人をこきおろしてもはじまらないことになります。もっともこの謂いは現在では逆転しているようで、ブームに熱を上げ、あたふたと中国中国と駆け込む今どきの我が同胞にこそ向けて云う言葉なのかも知れません。
しかし……
「どんなに商売にたけて賢い人間でも、人の商売のルートの邪魔だてはできやしないものだ」
「どんなに商売にたけて賢い人間でも、人の商売のルートの邪魔だてはできやしないものだ」
「外にある飯――皆がそれなりに拾って喰らうものだ」(四川)
「外にある飯――皆がそれなりに拾って喰らうものだ」
などといった類似の俗諺もあり、誰しも人の商いの邪魔立てはできないもののようです。となると、やはり商いは知恵なのでしょうね。

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