深沢俊太郎

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Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.1 2005年2月24日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.1
 一九八〇年代の後半に、シンガポールのある企業が黒龍江省の桃山というところに合弁会社を作りました。親会社から派遣されて来た第一代目の社長は、台湾人の陳忠興という人で、創業期の労苦を乗り切り、九十五年には優良企業と表彰されるまでに育て上げたのですが、内部の軋轢で、九十六年の三月にあっさり辞職、その後を引き継いで第二代目の社長に就任したのは、寥薛智という人でしたが、中国の水に合わなかったのか、腰を据えることなく一年足らずで去って行ってしまいました。次に来た第三代目が、彭達夫という人で、三四ヶ月もの間、ボス不在のその工場に来たのが、九十七年の三月のことでした。そして在位わずか四ヶ月で、すっかり滞っていた経営をたちまちのうちに建て直し、生産を正常に戻してしまったのには驚かされました。やはり会社というのは、トップに立つ者の手腕が大きくものをいうものとあらためて考えさせられたことでした。ここで筆者が面白いと思ったことがありますので書きとめておきましょう。それは、ボスが代われば部下たちも換わるということでした。正しく俚諺の、
「天子が代われば、臣下も代わる」
「天子が代われば、臣下も代わる」
を地でいっている事実でした。無論、部下たちの中でも、やはり生き残る者もいることはいるのですが、長く起用され、主だった地位についていた者ほど、ボスの首がすげ替えられると、どこへ消えたか、いなくなっていました。それにしても、ボスが代わっても、また新しいボスの下には、やはりこれまたデキル部下がどこからか湧き出てくるのも事実で、代わりはいるものだなあというのが率直な実感です。
「天子が代われば臣下も代わる。代わった天子の下にはまたできる臣下が出てくるもの」
「天子が代われば臣下も代わる。代わった天子の下にはまたできる臣下が出てくるもの」
「天子が代われば臣下も代わる。揚子江の後から来る波は前の波を追いかけるものだ」
「天子が代われば臣下も代わる。揚子江の後から来る波は前の波を追いかけるものだ」

「オレがいなきゃ、この会社つぶれるよ!」という謂いはよく聞きます。しかし企業というのは、なかなかどうしてシブトイもので、その「オレ」がいなくとも続いていくものと考えていたほうがいいでしょう。ただ、その「オレが!」という気持が企業を支えていることもまた事実なのですが……


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