深沢俊太郎

トップページへ戻る!
ネット中国性文化博物館入口!
書籍出版一覧!
新・中国いろはたとえ歌留多(連載)入口!
《醒世姻縁伝》研究!
ごうりきみちのぶ著「まっくらけ」!


深沢俊太郎の部屋
Shuntaro Fukasawa
新中国いろはたとえ歌留多


「新・新中国いろはたとえ歌留多」
(連載/月二回/毎月10日と24日更新)
No.48 2007年 6月10日
新中国いろはたとえ歌留多:連載No.48
 もう二昔前頃の話です。原稿の校正ゲラを持って出版社の老舗・評論社を訪ねました。用を済ませた帰り際、編集者の人見邦男氏の案内で、御高齢と聞いていた当時社長であった竹下みな氏(2003年2月逝去)がいつものように、見送りに出て来られました。その時、つい、わたしの口から出た言葉が、
「お元気ですねぇ……、若さを保つ秘訣は、なんですか?」
でした。
このぶしつけな、わたしの問いに対して、竹下社長は、言下に、
「毎日お金と戦っていますもの!」というや、「ホッホッホー」と、高らかに、笑われたのを、今も、はっきり思い起こすことができます。
……そうか、お金か!……金と戦う、……お金ねぇ……お金に追いかけられる……お金に追いかけられ、追いかける商人の世界は、老いを許さないのか……若さを維持させるのは、お金と戦うことなのか……
と、帰りの道すがら、なるほどなぁ……と、首をタテにふりふり、頷きながら、歩いていたわたしでした。
 筆者は、長い間、商社マン生活を続け、どうやら、なんとか、勤めあげては来た!? とは、思うのですが、商人としては、どうも、失格だった、なぁ、と、今、振り返って思います。思い至る点としては、目先の「小銭」だけを求め、「大いなる金」を追い求める、というコトに"不真面目"だったこと、それと、もうひとつ、肝心なことですが、「金に追いかけられた時、身銭を切ってまで責任を取ろうとしなかった」コトではなかったか、ということに行き当たります。いざという時の責任の重圧に耐えるだけの精神力に欠け、逃げたこと、怖くて、どうにもその重圧をはねのけるだけのフテブテしさ、が、なかったこと、だった、と、思います。
 商人は、金を追い求めることに"真面目"で"ふてぶてしいまでの逞しさ"、"飽くなき執拗さ"が、なければならない、と、思ったことでした。

 本原稿では、商業・経済に係わる中国に古くから伝わる俚諺を紹介しながら、中国人を、中国を、そしてまた、大胆にも、ビジネスへの留意点ごときものを、「いろは歌留多」を真似て、タイトルを作り、時にギャグ風に、時にストレートに、語り綴ってきました。
 中国のあの広大な大陸に身を置き、すでに活躍されている商人たち、日本に居ながら、中国とかかわりを持つビジネスマンたち、中国語を知り、これから中国へ乗り込まんとする商人たちに、多少なりとも、話題を提供することができたとすれば本原稿の役割は達成されます。
連載を始めてから、最後の項○京を残して、四ヶ月間、筆者の都合で、休ませていただきましたが、「京丸牡丹」という題目をもって、この連載を終了させていただきます。

 もうずいぶん昔、筆者が三十代のころ、遠州森町一宮にある私の細君の実家を訪ねたときでした。細君の甥っ子、小池直樹から「遠州七不思議」の話を聞かされました。七つの「不思議」が何で、どんな話だったのか、今やもう、すっかり、忘れてしまいましたが、その中のひとつに「京丸牡丹」というのがありました。この言葉だけが、ここにきて、ふっと、よみがえりました。すぐ直樹に、再度、教えてほしい旨、連絡をしたのはいうまでもありません。折り返し返事が届き、わたしの心に、活(かつ)が入りました。正直、心が躍りました。彼からの文面を、そのママ以下引用します。
「『京丸牡丹』というのは、確か六十年に一度咲く花の話。森の奥深くに咲くその花は、誰もその咲いているところを見たことがないと言われている。しかし、大きな、とっても大きな(一説には唐傘の大きさ)花が川を下ってくるので、その存在は認められるものの、やはり何処に咲いているのかは不明。なお、京丸という処は現在の周智郡春野町(森町の北側)岩岳山? 付近のことらしいのですが、はっきりしません。……」
という説明でした。
「六十年に一度咲く花」、「存在は認められるものの、何処に咲いているのか不明、誰もその咲いているところを見たことがない」というところに、私は引きつけられていました。
 孔子さんの謂いではありませんが、「六十にして耳順(みみした)ごう」どころか、すでに六十を通り越して六十五歳になった筆者、……「四十にして惑わず」どころのサワギではない……日々の生活の中、ああでもない、こうでもないと、惑い、意に反することに対しては、やたらカッカし、駄々をこねる可愛い孫にすら、「うるさいっ!」と心底、怒鳴ってしまったりする。いまだに、いわでもいいことを云ったり、やってしまってから、内心オタオタしているわたし。なんともナサケナイ……。
 いや、愚痴を云うのは、やめましょう。この京丸牡丹の話もある。京丸牡丹のように六十年に、たった一度、花開く人生を想い描こう! 想えば、いともあっさり、過ぎ去ってしまった気のする六十年、うしろを振り返らず、次のサイクルの六十年を見て行こう。ボクは、六十から始まって、やっと五歳になったばかり、ヨチヨチ歩きの新たな人生を歩み始めたのだ、と、思うことにしたのです。京丸牡丹の話は、しぼみ、萎えていた私の心に一縷の光をあててくれました。第二の人生、どの道を目指すのであれ、生涯、現役を続ける努力をしよう、と、思ったのはこの時でした。
《不(ブ) 怕(パア) 人(レン) 老(ラオ),就(ジウ) 怕(パア) 心(シン) 老(ラオ)》
「年を取るのを怕(おそ)れず、心の老いを怕れよ」
(我が「年は寄れども、心は寄らぬ」と同義)
               深沢俊太郎 記

< 前頁
[ 目次へ戻る]

株式会社トスコのホームページへ!
深沢俊太郎



Copyright(c) Shuntaro Fukasawa. All Rights Reserved.

このページのトップへ戻る!