「夢」、「夢を見る」を中国語に直訳すると、それぞれとなりますが、「××が私の夢だ。」「夢を持つ」「夢を描く」など、この「夢」という言葉の入った日本語を中国語に、通訳するときは、気をつけましょう。というのも、日本人にとっての、このときの「夢」なる言葉は、「目標、大きな志、目的を持っている」と、いったロマンに溢れた意味をこめていう場合が、ほとんどだからです。しかし、中国語のは、「空想する」という意味が強く、ほとんど実現しそうにないことを幻想することを意味する場合が多く、これを単独で語気強く、といえば、「夢のようなことを言うな!」「夢見てろッ!」という罵り語の中に、入ってしまうので、気をつけましょう。ですから、「○○が私の夢だ。」とか「私の夢は○○です」という会話を訳すときの「夢」は(目標)とか(目的)という語を使うとよいでしょう、ね。
かつて、中国大陸に夢を見、その夢を実現させる場として、われも我も、と、我が同胞がこぞって、渡っていった中国――こんな現象を皮肉って「元手なしの唐走り」といいましたが――は、二十一世紀を迎えた現在も、また同じような現象が起こっているようです。中国にユメ見る日本人の何と多いことでしょうか! 人それぞれに見る夢は異なっても、昔も、今も、人の見る夢は、断々続々しながらも、尽きることはありません。
希望、願望、夢、にまつわる俚諺を拾って見ました。あまりイイ例が見当たらないのが気にかかりますが、以下は、筆者が面白いと思った俚諺です。
(占いの先生は、来年はイイというし、
学校の先生は、今年はイイという、
商売の業界では、前の年が良かった、という)
(未亡人はマラの夢を見る――心に思っていること)
(夢の中で嫁さんをもらう――虫のイイことばかりを考えている)
これは、成功する望みのないことばかりを考えていることを指して云います。
(夢に仙人さまを見りゃ、夢もまた心地イイものだ)
(ことが長引けば、問題が起こりやすいものだ)
「黄梁の夢」「黄梁一炊の夢」(夢のようなはかない人生の喩え)
これは、またとかともいいます。
二年後に迫った2008年の北京オリンピックのスローガンは、
(同じ世界、同じ夢)
です。
中国が国をあげて、北京オリンピックに賭ける意気込みが感ぜられる句でもあります。
(百年もの歴史を誇るオリンピック競技会、このオリンピックが2008年に北京開催が決まり、中国人の長年来の夢がついに実現することとなった)
願わくば、中国の掲げるスローガンが成功裏に結実することを!
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